スイッチ・バック         10・25・02

いつもマンモスにスキーに行く途中395号線の西、シェラネバダ山脈にそびえるマウント・ホイットニーは北米大陸ではアラスカのマッキンレーに次いで2番目に高い14,496フィート(4,417メートル)の高峰である。

この山に入るには日帰りの登山でもパーミットを必要とし、パーミットの発行枚数が制限されている為、シーズン中の週末は半年前から予約を入れておかないとパーミットが取れないほどの人気コースである。今回の予定はそんな訳で半年前から予定されていた山行きであった。もともと我々の仲間で唯一ホイットニーの山頂に立った事のない私を頼さんが山頂まで案内してくれると言うことで乗った計画であったが、2週間くらい前に雪が降り山頂まで行くのは初心者にはきつかろうとのこと。直前に話が二転三転して、最終的に土曜日に日帰りでトレイル・キャンプと呼ばれる標高12,000フィート(3660メートル)の最終キャンプ場まで登って、その日のうちに麓のキャンプ場まで下山して盛大なパーティーをする、という軟弱な計画に代わったため登山家頼さんは今回不参加となったのであった。頼さんにとって山頂に行かない日帰りはあくまでハイキングであり、登山ではないようである。

10月11日、5時半に佐野さんとサンタモニカを出発する。途中で食事をしてロンパインの街に着くと既に真っ暗、レーンジャー・ステーションに寄ってパーミットをピックアップし、そこから395号線を離れ西に30分ほど山に向かって走ると、車の入れる最終地がポータル・キャンプと呼ばれる今回のベースキャンプ地である。暗闇の中でテントを張り終えた頃、斎藤ちゃんと原ちゃんが到着する。もう一張りテントを組み立てる。暗闇の中の作業で今回の私の秘密兵器であるヘッドランプが威力を発揮してくれる。最近読んだアウトドア系作家椎名誠のエッセイのなかでキャンプ用品の優れものとして絶賛されていた日本でも最近売り出されたばかりの発光ダイオードによる光源で、小型ながら広い範囲を明るく照らし AAAバッテリー2本で10時間持つという以前のタイプと較べるとまさに科学の進化を歴然と見せてくれる新製品である。

トレール・ヘッドというこのキャンプ場で、すでに高度は8,365フィート(2742メートル)もある、普通はここで高度順応のため禁酒してゆっくりと一日を過ごしてから登山に入るのが理想であるが、ついついこのメンバーが集まるとビールを飲んでしまう。焚き火をしながらの前夜祭が盛り上がり、テントで眠りについたのは午前2時半であった。

夜中にテントのすぐそばに熊のけはいと物音を聞いたと思った。夢の中での出来事とも思えたが佐野さんもやはり聞いたそうである。佐野さんはかってマンモスで相手を知らずに ”ドア越しに熊と押しくら饅頭をした”というつわものである。

ここはブラック・ベアーの活動地帯、それぞれのキャンプ・サイトには熊から食料を守る為、鉄製の大きな貯蔵庫が備え付けられている。車の中にも食料は残しておかないようにと方々に警告が出ている。車のドアを一撃で破って食料を奪うのだそうだ。一般的にアメリカの国立公園のブラック・ベアー達は夜間に動き回りキャンパーに接することにも慣れていてよほど近づいたり、驚かしたりしなければ熊の方から襲って来ることはない。

朝6時半まだ暗いうちに起きると、前日5時起床とかといっていた割には誰も起きて来ない。コーヒーを沸かしていると、谷底にあるこのキャンプ地でも上から徐々に明るくなってくる。簡単なインスタントで食事を済ませ、登山用の身支度を整える。そんな話は聞いていなかったが斎藤ちゃんだけ一応高度12000フィートのトレール・キャンプで一泊してさらに2500フィート上の山頂をめざせる装備をして行くと言う。

車で5分ほど走ったポータル・ストアーと呼ばれる売店の横が登山道のはじまりであった。記念撮影の後、午前8時10分トレールを登り始める。天候は良い、片道6.5マイルが今回の目的であるトレール・キャンプまでの距離であるが、ずーと登り坂でしかもすぐに下りてこなければならない。一日で往復21キロは私にとり歩いたことの無い距離である、想像以上の厳しい一日となるものと覚悟する。

最初は幾分黄葉した林の中のスイッチ・バックの道(ジグザグ道)を登り、高度を稼いでいく。ときたま細い清流が登山道を横断する。幸い昨夜の不摂生にも拘わらず高度による弊害は今のところ感じない。最初の2時間ほどはまだ余裕で話をしながら30分−40分に一回の小休憩を挟み登って行く。身軽な我々に較べ、斎藤ちゃんはテント、自慢の200ドルの寝袋、炊事道具、水等で総重量20キロくらい背負っている。その上幾分風邪っぽいとかで最初から遅れ気味である。

トレールは谷を奥へ奥へと進んで行く、位置的にはこの谷の一番奥の一番高い尾根がマウント・ホイットニーの山頂ということになる。谷底には少し黄葉が見られ、広葉樹と針葉樹の入り混じった林のなかを進む。丁度今日の中間地点であるミラーレイクを過ぎたあたりから林はなくなり岩場の道となりさらに勾配も急になりトレールは続く。日本の登山道と較べればわりと勾配の緩いスイッチ・バックの連続となっている。その分、距離的には長くなると言えるが、よく整備されていて場所によっては石畳の階段といった感じの所さえもある。この辺からだんだんと疲れを感じてくる。

3分の2くらいの行程にトレール・サイド・メロウと呼ばれる幾分広い高原になった場所があり、小川の横に芝が生えている。先についた佐野さんが「ここからはさらに急斜面のスイッチ・バックになるからね、ひと休みして彼らを待とう」というが、原ちゃんは姿がみえるが斎藤ちゃんはなかなか見えてこない、心配しながらも待っている間芝の上に横になっていたら、気が付けば 10分ほど気持ち良く寝ていたようだ。斎藤ちゃんも追いついたがかなり疲れている様子。スポーツ一般に体力があり、以前 日帰りで山頂まで行ったことのある彼には珍しいことだが重くバランスの悪い20キロの荷物と風邪気味の体調が彼のペースを乱しているようである。佐野さんの荷物を持ってやろうかという申し出も断り、大丈夫だと言う。

途中私の 3倍くらいのスピードで追い越していく単独登山家がいた。こういう鉄人は私より遅く出て一日で山頂まで行って帰って来られるのであろう。上をみれば限りなく想像を絶する鉄人がいる、下をみるとこれまた限りなく体力のない人もいるわけであるが体調もある。登山はペースの持続だと感じる、要は、自分のペースでいつも8分の力で進み、疲れたら立ち止まり2分の力を残しておくことが持続の秘訣かと思われる。

後半になるにしたがい互いのペースが違ってくるのは当然の事か、互いの間隔が離れてばらばらになっていく。登りに強い佐野さんが先頭でかなり先を行く、息を吹き返した私が続く。ゆっくりとマイペースを守る原ちゃんが後方に見える。斎藤ちゃんはまたすぐに見えなくなる。ここまで来るとトレールの周辺には2週間前に降った雪が残っている。黙々と登る。両手に持った登山用のストックがかなり助けになる。一見スキーのポールに似ているが長さを調整出来るので、登りは短く、下りは長くして、腕の力で重い身体を引き上げたり支えたりして脚にかかる負担を軽減してくれる。

終着点はあっけなく突然やってきた。前方の岩の上に休んでいる佐野さんがいる。追いついたと思ったら「よくやったね、ここがトレール・キャンプだよ」といわれた。見れば前方のいくぶん平らになったところには10張りくらいのテントが点在している。時間は午後 2時40分。山頂でないので、ここが終点という気はしないのであるが、ここが目的地であった場所だそうである。原ちゃん、斎藤ちゃんを待つ間にその辺を歩いてみると目の前にマウント・ホイットニーが見える。スイッチ・バックはまだ続いており、遠くの山肌に登頂をはたしぞくぞくと下りてくる登山者達が見える。ここから山頂まではさらに2500フィートある。大概ここで一泊した登山者は翌朝暗いうちに山頂を目指し、昼前に山頂を踏んで、丁度このくらいの時間にトレール・キャンプに戻り、テントを回収してポースト・キャンプまで下山する。というのがパターンだそうだが、我々はこのまま下山することにしている。そして唯一今回そのパターンを踏もうとしている斎藤ちゃんにどれだけ体力が残っているか心配しているのである。斎藤ちゃんはまだこない。昨日から便秘だとか、途中で用をたしていたとかいう情報が原ちゃんからもたらされるが、その後の消息が不明である。「3時まで待って我々は下ろうか」と話しながら遅い昼食を摂っていると3時ジャストに斎藤ちゃんが現れた。かなり疲れているようすだが、彼はここで泊まりなので下山する必要が無い。明日の朝まで休んで、体力を考えて山頂をめざすかどうか決めれば良い。ちょっと冷たいようだが我々は先を急いでベース・キャンプに戻り宴会をしなければならない。くれぐれも無理をしないようエールを送って別れる。

下りのスピードは倍くらい速い。その分脚にかかる負担も大きく、膝の踏ん張りが利かなくなってくる。ポールを使ってなるべく膝に負担がかからないようにする動作が多くなる。そして我々の間では 『登りの佐野さん』、『下りの原ちゃん』と言われていて、下りはなぜか俄然原ちゃんが速い、途中まで私が先頭を行く形であったが、原ちゃんが「私がペース・メーカーになりましょう」とかいって先頭を替わるや否やどんどん先に行てしまうのでペースメーカーもくそもないのである。それでも休む回数も登りとは大違い、あまり休むこともなく遥か先を行く原ちゃんを追う。見覚えのある場所を行くのだが、後半の下りがだらだらと長い。やがて薄暗くなってきた、佐野さんの声に振り向くと谷底から眺める黒い山影を際立たせ、美しい夕焼け空が谷の上に拡がっていた。疲れを癒してくれる風景である。そして、下に道路がみえている。この長い下山もまもなく終わろうとしている。

6 40分かろうじてヘッドランプをつけることなく下り切って駐車場に行くと、30分ほど先に着いたという原ちゃんが車の中で寝て待っていた。

ここであることに気が付いた。我々は今朝一台の車でベースキャンプであるトレール・ヘッド・キャンプからこのポータル・ストアーの隣にある登り口に来たのであるが、キャンプ場までは0.7マイル(約 1キロ)ある。明日何時に下りてくるか分らない斎藤ちゃんを待つわけにいかないのでどうすればいいのか?ここは谷間で携帯電話も使えない、どうするか?そして出た結論はまたまた冷たいようではあるが、「疲れた身体に鞭打ってキャンプまで歩いて下りて来てもらうしかないんじゃない」と言うことであった。

今回マンモスのコンドからかなり大量のキャンプ・ファイヤー用の薪を持って来ていたが、マンモスの薪置き場には大量に積み重ねてあり一番下の部分には我々がいうところの『7年もの』ワインでいえばビンテージ・ワインが埋まっている。これは7年くらい山積みにされたままで良く乾いた焚き木であるがなかなか掘り出せない。その7年物を私が前回マンモスに行った時、掘り出して用意して置いたのであるが、2週間前に佐野さんが行ったらまた埋まってしまっていて、持って来たのはワインで言えばまだ若く、青臭い安物のボージョレ・ムーボ、燃え難く、煙たいという、キャンプ・ファイヤー用としてはまだ熟していない今年切られた薪であった。そこで、キャンプ場周辺から松ぼっくいを拾って来る。 15センチくらいの大きい松ぼっくりがかなり大量に集まった。これは松脂を含み、火付け役としては最適である。

ご飯を圧力鍋で炊き、レトロカレーを食べる。そして一日の労を慰める宴会である。焚き火には癒しの効果があると思う、薪をくべ、焚き火の明かりを見ながらワインを飲むとなぜかささやかな幸せを感じるのである。ここはやはりサツマイモを持って来るべきであった。 周りはかなり冷えてきた。斎藤ちゃんのいるところはさらに 10度以上寒いはずである。「もっと強引に下山を促すのだったかな」などと話しながらその夜3人で空けたワインは4本、飲むものはしっかりと飲んで寝てしまったのであった。

翌日は身体が痛くてあまり動く気がしない。スクランブルエッグとソーセージの炒め物そして缶詰のスープを温めて遅い朝食を摂る。キャンプ場にはちゃんとトイレットペーパー付きの水洗トイレと水道が方々にある。しかし水道を使っての洗濯、食器洗いは禁じられている。使った食器、鍋類は少し水を入れてペーパータオルでふき取ることになる。日本のキャンプ場の水場は残飯やらの、生ごみが散乱し汚かった覚えがあるが、こちらの水場には何処も、ご飯つぶ一つ落ちていない、あ、ここはスパゲティー一本というのかな?ともかく皆が良くルールを守って自然を大切にしているのには感心する。

昼近くまで森林浴をしながら本を読んだりして過ごし、佐野さんとポータル・ストアーに軽油の調達と、シャワーを浴びに出かけることにする。車で5分ほどの距離だが、疲れた脚で歩いたら結構大変であろう。ポータル・ストアで斎藤ちゃんがタイミングよく下りてこないか捜すが、そうはうまくいかない。ちょうど下りてきた3人組みがいたので思わず、倒れそうな日本人見ませんでしたか?と聞きたいところであった。シャワー代は3ドルであるが、2日ぶりのシャワーは気持ち良かった。軽油は「外のタンクから勝手に持ってて良いよ」とのことでタダであった。大きなタンクを持ってくれば良かった、などとこの期に及んでまだ俗世間の汚れが落とせない僕たちである。

キャンプ場に戻ってすぐ横に流れる冷たい小川の流れにビールとシャンペンを浸し、やがて戻るであろう斎藤ちゃんの登頂祝いのパーティーに備える。

昼寝をしていると突然、2時半ごろ斎藤ちゃんが戻ってきた。「身体が動かず、登頂は無理でしたよ」との報告、ポータル・ストアーからここまでは一緒に下りた人の車に乗せて来てもらったという。皆で彼の話を聞く。

『昨日はかなり疲れていて、テントを張ると食事をするのも面倒くさくそのまま200ドルの寝袋に入るが、気温は氷点下10度くらい、200ドルの寝袋でも寒くて眠れず。それでいて使い捨てカイロを持っているのに疲れていて取り出せず。明け方、それにしてもなんて寒いのだろうと見ればテントの窓が一部開いていたのが分ったのだが、疲れていて閉められず。小便も寒くて疲れているのでテントから出れず出来ず。朝ご飯も食欲がなく食べられず。日が上がって幾分温かくなったところでテントをたたんで下りて来た。途中2回ほど疲れていたため昼寝をして来た。バックパックが小さく、寝袋やらなにゃらがいっぱいぶら下がって葡萄状態のためバランスが悪く、大勢の人にずいぶん荷物が多いなと言われたが、それが疲れる原因の一つであったかもしれない、さらに昨日から幾分熱っぽく、風邪薬を飲みながらの登山だった。いろいろ心配を掛けましたが無事に戻って来れました、ともかく疲れた』と淡々と語るのであった。本人は周りにいつも大勢の登山者がいたので安心感はあろうが、山頂登頂どころか、かなりやばい状態であったと思われるのである。体力に自信のあった彼はこんなはずではないという気持ちがあったようだが、自然の前では人間いかに無力なものか今回あらためて感じたようである。

ともかく無事を祝って裏の川から冷えたシャンペンを持って来て乾杯をすることにしよう。高度が高いためシャンペンの蓋のコルクはワイヤーを取ってテーブルの上にボトルを置いただけで威勢のいい音を立てて飛んでいってしまった。

キャンプ場最後の夜は焼肉と日本酒とビールがまだ大量に残っていたので、全ての薪を燃やし尽くす11時近くまで続いたのであった。

お疲れさんでした。そして一ヵ月後にはスキーシーズンが始まる。

終わり