空を流れる雲のように   2012年6月1日   小堺 高志

 

メモリアルウィークエンドの5月25日、今季最後のマンモスに向かう。
例年より
小雪で、雪はかなり解けていてスキーは期待できないがシーズン最後のマンモス行きであり、まもなく日本に永住帰国する斎藤さんの本当に最後のマンモス行きとなる。雪は悪く、少し山歩きも予定しているので、腰痛のある原ちゃんは誘わなかった。

 

ランカスターを過ぎると今まで見たことのない山が燃えるような夕焼けが我々を迎えてくれた。
中間点、コウソウジャンクションでトイレと給油タイム。そんなに気温は下がっていないが、ともかく風が強い。風が強いと体感温度はかなり低くなり、寒く感じる。

佐野さんが冗談で「アイスクリーム食べたいね」と言ったら斉藤さんレジの人に「クレージー」と言われながら、本当に買ってきてしまった。

震えながらアイスクリームを食べる。

二人はすぐに車の中に。

 

私もセルフの給油ノズルをセットしたら車の中に入ろうとおもったら、ここのノズルはロックが壊れていて手で押さえ続けていないとガソリンが出ない。寒い中で私だけアイスクリームを食べながらノズルを押さえているのは癪に触るから二人の乗る車のドアを開けてやる。寒さは供に堪へよう。一人では耐えられない寒さも仲間となら耐えられるの精神である。

 

おじさんダジャレが止まらない斉藤さんは車の中で煩いほど絶好調である。
 

マンモスに着いたのは11時45分。パラパラと雪が降っている。3連休なのに駐車場はガラガラ。荷物を降ろし宴会がはじまる。つまみは昨日作ってきた『筍の煮付け』と 『鱈の干物を柚子こしょう、そばつゆ、酒で戻したもの』。そして斎藤さんの自家製『鳥肉の燻製」。



行きがけに見た珍しい夕焼けと冷蔵庫の大量のビール、そしてワイン、恒例の真夜中の乾杯

 

翌朝、遅い起床。

今季のマンモスはあと3日で閉まる。スキー場に行くと手前のスタンピーはすっかり雪が解けて土が露出していてほとんど雪はない。メインロッジからのアクセスしかないがメインロッジに行くと目の前の土色の斜面に舗装された狭い道路のようにゲレンデが走る。

ブロードウエイのリフトを降りてもやはり狭い帯状のゲレンデの上を滑っていくしかない。雪は汚れてコンクリートの道のように硬く、よく見れば風で飛ばされた細かい小石が散らばっている砂利道である。

 

何としてもこのメモリアルウィークエンドまでは開けたかったマンモスの心意気は買うが、覚悟していたとはいい、コンクリートの砂利道とは、これは相当の悪コンディションである。それでも上の方に行くと少しだけ昨夜降った雪がステーキにかけた塩くらいにかかっているのはせめてもの愛嬌か。


 
朝のベランダで朝日を拝む斉藤さん、ハレーション起こしてます。雪のないメインロッジの駐車場で身支度を整え、いざゲレンデへ

メインロッジからとブロードウエーのリフトの上から見た舗装道路のようなゲレンデ

フェースの裏側のコース、雪はあるがガリガリである。

天気雪が降り始め、青空に雪が舞う。

今日は山頂は閉まっていて雲の中で見えない。フェ−スの裏側はそれでも雪はあるが、雪質は最悪である。

佐野さんは一本滑ってメインロッジへ撤退。私と斎藤さんは何本か滑る。ガリガリのカチカチで5本ほど滑って我々もメインロッジへ引き上げる。佐野さんは来季のシーズンパスに付いて来た特典、$50のギフト券を使うためにメインロッジのスキーショップに行く。今季中に使いきらなければならない。スキー靴下を何足か買って使いきった。



すでに閑散としたメインロッジのオープンバーに天気雪、雪融け水が凍ってできた氷の芸術品?

スキー場からの帰りがけに遠回りして車でマンモスの街を流す。方々でスキーのセールをやっている。覗いて見ると、ちょっと気になるスキーがあったがホールド。

その後、車でマンモスのメインストリートを抜け、スキー場の方へ曲がらずに10分ほど山に向かって走ると、湖が点在する風光明媚な場所に出る。明日のハイキングの下見である。

 

一番手前にツインレーク、ここは以前マンモス山頂から裏側に下りて来て、自然の創ったトンネルを抜けて凍った湖の上に滑り下りてきたところである。雪のない状態では対岸にここを滑れるとは思えない絶壁に口を開けたトンネルだ見え、そこから直接湖へと急斜面が落ちている。
さらにツインレークの先へと山道を車で登るとレークマミーに出る。レークマミーから流れ出る雪融け水が滝となって遙か下方のツインレークへと落ちていく。ここから見るツインレークの風景は絶景である。振り返ればレークマミーの向こうにクリスタルロックがそびえ立ち風景を引き立たせている。



ツインレーク対岸の岸壁に開いた天然のトンネルが見えるであろうか?レークマミー側から見下ろしたツインレークの絶景、足元は滝である。反対側にはレークマミーとその対岸に見えるクルスタルロック


レークマミー
から見たクリスタルロックここですでに2700メートルの高度がある。明日はあの岩山の近くまで行く。

さらに先に進むとレークジョージアとレークホースシューがある。この辺はすでに海抜2700メートルの標高がある。ホースシュー湖の周辺は数年前まで火山性の毒ガスが出ていて木が立ち枯れて、立ち入り禁止の場所があったが、今は解除されている。

斎藤さんによれば毒ガスの骸骨マークは我々のようながいこつじん(外国人)は入ちゃいけないのだそうだ。斎藤さんはアメリカ人だから入れる。

今日の下見はこのくらいにして引き上げる。明日はクリスタルロックの麓まで行ってみるつもりである。

  

シャモニーに帰ってBAR イナイナイバーのマスター斎藤さんからアナウンス、「みなさんに愛されましたイナイナイバーは明日で閉店の運びとなりました。

さんざん飲み食いしたうえ飲み代を踏み倒すというあくどい客のやり放題のため、今週末を持ちまして倒産閉店となります」。いままでいろんなつまみを作ってくれた斎藤さんに感謝。

 

今回はDVDに録画された日本のテレビ番組をもってきている、やはり酔っ払って見るのはストーリーを追わないでいい日本語のバラエティーがいい。酔っぱらって英語の映画を最後まで寝ないで観たことはほとんどない。やはり日本語は酔っ払っていても耳に入ってきてくれる。

 

夕方、ジャグジーにいく。貸切状態のジャグジーに晴れているのに雪が降ってきた。ここから見えるマンモスの22番リフトの山頂に雲がかかり、雪が降っている。その山からこちらに向かって上空を風が吹いている。風で運ばれた雪が頭上の青空を流れていくのが見える。そこから落ちた雪が天気雪になっている。

斎藤さんの「吹いてくるユキはこちら、お帰りはあちら」とダジャレを聞きながらめずらしい青空の中を流れる雪を見やる。

 

サウナに入った後、しばらくビリヤードをし、夕食である。今日はすでに鶏肉を塩コショウ、カレー粉、ガラムマサラ、シーザースドレッシングでマリネートしてあり、オープンで焼くだけである。

斎藤さんがサラダをつくってくれた。ワインを飲み、食事。食後またDVDを観る。




下界は晴天、この青空で時たま雪が舞う。ベランダでワイン貸切状態のシャモニーである。

サウナの佐野さん、ビリヤードの斎藤さん、そして夕食。スパイスをたくさん使って美味かった
 

翌、日曜は朝から晴天、風もなく雪は悪いがスキー日和、ハイキング日和であると思われる。

 

昨夜からゲレンデには6cmほど新雪が降っている。斎藤さんへのマンモスからの贈り物。しかし滑りだしてみればそんなに変わっていない。昨日よりはいいが新雪ならぬ不親切だと斎藤さんは言う。

 

昨日行けなかった山頂に行くとコニースはガリガリでエッジが効かずスキーにならない。フェースの表は更にガリガリで上の三分の一は横滑りで下りて幾分コンデションが良くなったところから滑り出す。エッジが効かずに滑り落ちる途中に斎藤さんが止まっているとコントロールが効かずぶつかりそうになる。横滑りで斎藤さんや途中の岩を避けるのが精一杯である。



斉藤さん最後のマンモスに向かう。少し新雪が積もっている。 

長年通ったマンモスでも最悪のコンディションであるが、斎藤さんにとっては最後のマンモスでのスキーである。それでも段々と雪が柔らかくなって来てくれる。先ほどまでレースの練習をしていたフェースの裏の斜面左端が開放された。幾分コンデションがいい方で3本ほど滑るとそろそろ予定の11時になる。最後はウエストボールのコブを滑ってあがろうと言うことになっていた。フェースの表からウエストボールに入るには雪が少なく一度スキーを脱いで歩かなければならない。

雪面の切れ目はスキーを持って歩いてウエストボールのモーグル斜面の上まで移動する。ここは地形が沢状になっているので吹き溜まりの新雪とその下の雪に足を掬われ、スキーを履く前にコケている我々であるが、これが今季最後のスキーであり、斉藤さん最後のマンモスでの滑りとなる。

 

私が先に滑る。もうガリガリではないが手強い斜面である。4分の一ほど滑りコースアウト、佐野さんが滑る。頑張って粘り強いところを見せてくれる。斉藤さんが滑る。最後に厳しいコブ斜面を選んだ斎藤さん、どんなにコンデェションが悪くてもいつも前向きで研究心豊かな滑りを見せてくれた斉藤さんは我々の手本であった。と、最後は持ち上げておこう。

 

私が佐野さんに続いてウエストボールの残りの斜面を降りる。斎藤さんが追いつき、全員がウエストボールの下に揃う。ここからブロードウエイを滑り下りたら終了である。「斉藤さん、ついていきますから先導してください」狭いゲレンデが幾分空くのを待って斎藤さんが滑り始める。私が後に続き、ゲレンデをメインロッジへと下りていく。斉藤さん、その姿まぶたに焼きつかせて頂きました。楽しい時間をありがとうございました。




ウエストボールのコブ斜面をすべり、斉藤さんメインロッッジへのラストラン 
 

11時過ぎにスキー場を離れる。この時間になるとスキーヤー、ボーダー、そしてマウンテンバイクカーで道路沿いに停めた車が増えてきた。

私は昨日見たシーズン終わりの50%オフのスキーセールで気になっているスキーを買うことにしていた。二人に付き合ってもらって街中のスポーツショップに行きスキーを買う。バインデング込みのHEAD SUPERSHAPE TITAN の163CMが半額であった。明日の朝にはバインデングを付けて、チュンナップしてピックアップ出来るようにするという。

 

一度シャモニーに戻ってビールを飲みながらハイキングの用意をする。昨日下見に行ってきた周辺を今日はクリスタルロックの麓にあるレーククリスタルまでハイキングする予定である。

距離は短いとは言い、高度は3000メートル近くなるし、その道は4000メートル級の山をも含む本格的な登山道へと続く。斎藤さんは半ズボンにTシャツである。「それは春山を舐めていませんか?」でも長袖を一枚腰に巻きつけ、その格好で行くつもりのようである。

ワイン、ビール、おつまみを用意して出発する。

 

昨日通った道路をレークマミーへ行き、そこから昨日はホースシューにいったが今日はレークジョージアに行き車を停める場所を探す。この時間帯に駐車のスペースは全部埋まって居る。しかし幸運にも一番奥のスペースの車が出るところであった。日頃の行いが良いからだとそれぞれが自慢する3人衆。

 

ここから歩き始めるが、斉藤さん本当にその格好でいくの?場合によっては積もった雪の中をラッセルしなければならないかも?なにせ高度3000メートルまで行くんですよ、と念を押す我々の心配をよそに歩き始める斉藤さん。

佐野さんによれば40分くらいの距離だそうだがいままでの経験からいえば佐野さんがそう言った時は佐野さんが若い時であれば、の読みであるから、約1時間の距離と読まなければならない。



レークジョージアから歩き始める。向こうに見えるクリスタルレークの麓が目的地 

私の服装はかなり重装備である。

ここは始めての場所で、私は方角がわからないのに私が出遅れた隙に二人はどんどんと先を行く。道路はレークジョージアを眼下に見ながら湖にそって右側から回りこんでクリスタルロックへと向かう。湖が美しく眼下に見える。結構大勢のハイカーが歩いている。

 

やがて山道はレークジョージアから幾分離れ、10cmほど雪の積もった道を行く。やっと二人が見えたと思うと休憩をとっていた二人はすぐに歩き出してしまうので私はほとんど休めない。まさに爺さん待っとくれよの世界である。何度か道を間違えて遠回りをしてしまうが、その都度親切な人に助けられ。不親切な二人を追う。

 

前に人のいない時は雪の上の足跡を辿っていけばいいのだろうがその足跡が時たま消えて宛てにならない。佐野さんと斎藤さんの足跡がいつの間にか獣の足跡に変わっている。ひょっとして変身してしまったか?かなりの獣の足跡が付いているが、これはハイカーに同行の犬の足跡である。


 

前方に珍しく佐野さんが待ってくれていると思ったら、突然視界が開けて目の前に湖が見えた。ここが終点クリスタルレークである。レークジョージア側から見ていたクリスタルロックが湖の傍にそびえ立つ。予定より長い山歩きであったが価値ある絶景である。犬が冷たい湖に入って泳いでいる、子供達が釣りをしている。それぞれがこの風景を楽しんでいる。我々は水を持たずにビール・ワインを持ってきているので喉が渇い状態でこれを飲むのが我々流の風景の楽しみ方である。ビールが美味い。おつまみとワインが美味い。おつまみはビーフジャッキと料理してきたウインナーソーセージの香料炒め。こういう自然の中で気のおけない友と池と林を見ながら酒を飲み、肉を食べるのがいい。まさに酒池肉林とはこう言う事であろう。しかし、斉藤さん、痩せてなくともやせ我慢か、やはり寒そうで長袖シャツを着る。


 

この先の一番雪の積もった山道では写真を撮っていませんでした。ここが終点のクリスタルレーク



自然の中での宴会は犬も参加したがるほど美味い


ハイキング客の犬を手なずけ、クルスタルロックをバックに記念撮影


斉藤さん大自然の中でバランスポーズをきめる。写真に撮れなかったが、実際はもっと雪深い場所のある山道でした。

さて、いい気持ちで酔ってきたが、下山をする時間である。

いきなり斎藤さんが先行飛び出しで、姿が見えなくなった。下山だけ早い人がいるものである。佐野さんとゆっくり下山する。

途中スイチバックがあり、直線で下りるとかなり距離が稼げる。雪の付いた斜面を足の踵で強く踏みつけて下りると滑らない。

 

ショートカットをしては登山道に戻るというのを何度かしているうちにレークジョージアの方へ右に曲がっていかなければならない場所に出た。佐野さんは気づかずにそこを曲がらないでまっすぐ下りて行ってしまった。

「佐野さん、こっちに戻らないと駄目だよ!」と少し追かけて下に向かって叫ぶと、佐野さんのなにか言う声が聞こえたが、すぐに声が届かなくなった。しょうがなく私は先に駐車場に戻ることにする。
 

駐車場に戻ると車の前の岩に腰を下ろして斎藤さんが待っていた。15分くらい前に着いたというが、私は遭難者佐野さんの第一次捜索にあたっていた説明をする。と言っても声を出しただけだけどね。おそらく佐野さんはホースシュー湖側へ下りているだろう。斎藤さんにここで待ってもらい、ホースシュー湖へ車を走らすことにする。

ホースシューに向かいながら佐野さんはもしすでに着いていれば誰かを捕まえてレークジョージアへ送ってもらって来るだろうと思っていた。戻ってこなければ第2次捜索隊か?

帰り道でレークジョージアを見下ろす。 

ホースシューの登山道の入口ですこし探したが、佐野さんの姿は見当たらない。時間的に無事に下りていれば、おそらく行き違いになったと思われる。斎藤さんの待つジョージア湖へ再び戻ると、やはり佐野さんはヒッチハイクをして戻って来ていた。「よくホースシュー側へ下りたのが分かったね」と言われたが、佐野さんのやることはヒッチハイクで戻るとこまでお見通しである。

 

佐野さんはホースシューの駐車場に下りるとすぐにジョージア湖へ送ってくれそうな人を物色した。するとおあつらえ向きの人がタイミングよく止まってくれた。昔はロスに住んでいたというおじいさんで、佐野さんに言わせれば佐野さんを車に乗せて我々のとこまで送るためだけに、そこに居たような人だったという。

 

無事に全員下山。絶景の中での酒池肉林は最高だったね。楽しい山歩きでした。
 

今日もジャグジーに入り、斎藤さんとビリヤード、これで斎藤さんとビリヤードをする機会もないであろうから勝を譲った、という事にしておこう。

今夜の食事は豚肉の生姜焼きと、斎藤さんの中華丼。食後、ワインを飲みながら心地よい疲れでいつの間にか3人ともうたた寝していた。


男子厨房に入らずば食を得ず。 

 

メモリアルデーの月曜日、朝から帰宅の用意をする。斎藤さんが残り物で朝食を作ってくれる。荷物の整理、掃除、食器洗い、ゴミ捨てと何時ものように手際よく作業をして8時過ぎにシャモニーをでる。街中のスポーツショップに寄って昨日買ってバインデングを付けてもらった私のニュースキーをピックアップして、エルエーへと向かう

雲ひとつない晴天である。街を出た所で振り返ればマンモスの全景がみえる。「斉藤さん、ここからのマンモスが見納めですよ」と言うが「雪のないマンモスはタレのかからないうな重のようなもの」と、振り返ろうとしない斉藤さん。

斎藤さんなりに思い出がいっぱい詰まった場所だけに、口とは裏腹に複雑な感情があるのだろう。バックミラーの中にマンモスが消えて行く。

 

今回もまた、楽しい3日間であった。マンモスにありがとう。斉藤さんありがとう。

道路沿いの新緑が優しく美しい、そして目に焼きつくほど空も山も自然が眩しい、、、。

 


 

 

さて、突然ですが、物事には始まりがあれば、何時か終わりがあります。

 

物心つく前からはじめて来たスキーの事を2000年春からエッセイ『スキー三昧 IN カリフォルニア』として発信し続けてきたこのサイトですが、気がつけば私も還暦を超えています。

今が、ひとつの区切りの時期と感じています。ここで一度ウブサイトとしての「スキー三昧」を今回の104回をもって終了とさせて頂きます。

 

この世の中のこんな場所で、こんな時代に、こんな人生の一部を共に過ごした仲間がいたという記録でもありました。

エッセイを通して、少しでもスキーの楽しさを感じていただけたかと思います。

長い間、ご聴衆、ご精読ありがとうございました。

 

アップデートを止めてもこのサイトはできるだけ長く、このままにしておくつもりです。

これまでエッセイをメールとして受けておられた方にはこれからは形を変え、ブログとして発信を続けたいと思いますので開設したらご案内いたします。

 

私はこのまま健康に暮らせたら、また冬には佐野さんとスキーに通いながら、これから約5年間働いた後、2017年には日本に永住帰国して、おそらくは新潟市内の車がなくても暮らせるところに住居を構えるつもりでおります。そして、花鳥風月を楽しみ、いっぱいの思い出を胸に命尽きる時まで、心穏やかに老後の生活をおくれたらと思っています。

 

いつまでもマンモスに雪が振り続けて、スキー客が楽しく滑れる場所でありますように、美しい地球の自然が未来永劫続きますようにと強く願います。

空気が風となり動く事で天候が変わり、自然が動き、恵みを与え、生命が宿る。

これからもマンモスの空に優しく風が吹き、雪が降り、嵐の後には眩しい青空を見せてくれますように。

 

その昔、マンモスの創業者マッコイさん、スキー映像の先覚者ウオーレンミラーさんが楽しく滑った時代があったように、我々のマンモスでの時代もだんだんと過去の物となって行こうとしています。これからは若いスキーヤー、スノーボーダー達がマンモスで楽しい思い出をいっぱい作っていってくれることでしょう。

 

このサイト『スキー三昧 in カルフォルニア』に勝手に登場させた、すべての人達に感謝の気持ちを伝えたいと思います。
ありがとうございました。

そしてエッセイを読んで下さった皆様、ありがとうございました。

頭の中をメロディーが流れる。

 

遠い世界に旅に出ようか、それとも赤い風船に乗って 雲の上を歩いて見ようか 、、、、

 

このメロディを心に聴きながら日本を初めて飛び出したのは40年近く前でした。私の旅は、まだ続きそうです。
何時かまた何処かで会える日まで、皆さんに幸あれ!

 

So long.

 



スキー三昧・・・・・・・完