オープニング          file#12-17-00

10月も下旬になると、山の天気予報が気になる。例年11月後半が私のスキーシーズンの始まりである。今年のマンモスは11月9日がスキー場開きと聞いていたが10月下旬に例年にない寒波がマンモス地方を襲い、待ち切れないスキーヤーのために、11月3日にマンモス・スキー場がオープンしてしまった。我々は予定どおり11月10日夕方から佐野さん、原ちゃんと共に初滑りのためマンモスへ向かう。満月のもとで、砂漠が白黒テレビのように青く明るく照らし出される中を北へと走る。

ロンパインで夕食を取りマンモスへ10時半頃着くと、街中はすでに雪化粧で11月らしからぬ真冬の景観である。少し前まで雪が降っていたようである。車を降りると駐車場の雪が靴の下で踏みつけられキュッ、キュッと鳴く。ここ数日の寒波のため、日中の気温も低く、理想的な粉雪である。すぐに斎藤ちゃんが合流する。しばしの宴会ののち、翌日の初滑りを夢見て就寝する。

翌朝、晴天であるが、かなり寒い、あまり食欲がない、早々に朝食を済ませゲレンデに向かう、道路は雪に覆われているがドライなので、チェーンを履かなくてもタイヤのグリップも効き、雪道としては走り易い状態である。今季はシーズンチケットを持っているので、チケットラインに並ぶことなく、そのままゲレンデに出る。昨日の夕方まで、つまりは我々がマンモスに着く寸前まで雪が降っており、山頂では1フィートくらいの新雪があるそうだ。雪質はこの季節とは思えない最高のパウダー・スノーである。

この前滑ったのがちょうど5ヶ月前の6月であった、また7ヶ月間のスキーシーズンの幕開けである。一本目を忘れていた感覚を想い起こす様に丁寧に滑る。雪の感触が心地よい。しかし2本目のリフトに乗っている頃から、お腹の具合が悪く、吐き気がして来た。どうも朝から少し気になっていたのだが、ロンパインでの食事がいけなかったようだ。流行っていないレストランで、ちょっと新鮮さが気になったが、そのまま、食べ尽くしてしまった。頼んだ物は違うが佐野さんは昨夜すでにレストランで食事中から、「ちょっと古いんじゃない」と文句を言い、私の知らないところで、正露丸を飲んでいたと言う。

2本目を滑りながら堪らず、ゲレンデ横の神聖な雪の上に吐いてしまった。メインロッジの食堂で1時間ほど休む事にして3人と別れる。

昼近くなり、具合も良くなってきた。3人が11時ごろ戻ってくると、ちょうどオフィシャルなオープニング セレモニーがメインロッジで開かれるところで、そこにいる全員にシャンペンとサイダーがシャンペングラスで配られる。私もサイダーで乾杯に参加する。その後皆と簡単な昼食を取り、全体のコンデションを聞くと、フェースの3番リフトが開き、上の方にはかなり深いヴァージン スノーがあるという。まだ食欲はないが、気分のよくなった私は皆にも早々に昼休みを切り上げてもらい12時前にゲレンデに出る。スキー場で一番高い山頂に行くリフトは開いていないが、今日開いている中で一番高い高度に行くフェース・リフトに乗ると、降りた所からバージンスノーを求めて、若者が何人もスキーやスノーボードを担いで山登りをしている。高度の高いここで山登りをするのは大変な体力を必要とする。我々おじさん族には無理な話であるが、出来るだけトラバスして、なるべく深い雪の残る所に行き滑り出す。1フィートくらいの深さがあるが雪は軽い。1月頃の雪かと思うほど、この時期にしては、めちゃくちゃ良い雪だ。深雪に楽な滑りはない、早くも息が上がってしまう。しかし気分は最高!柔らかい深雪にスキーが浮く感覚が楽しい。

しかし、この感覚を小回りのターンで楽しめるのは、おそらくスキーヤー全体の10%位の人しかいないのではないかと思う。それほどスキーの技術としては高度なものが要求される。しかしスノーボードだと面積が広く浮力が大きいので、この感覚に近いものを2−3年目くらいの初心者でも味わえるのである、これがスキーとスノーボードの大きな違いで、スノーボードが短期間でこれだけ人気の出た理由の一つかと思う。

スキー道具の中で一番重要で、一番選択の難しいのはスキー靴である。これがなかなか自分にあったのを見つけることが出来ない。とりわけ日本人は一般的にアメリカ人より足の甲が厚く幅が広いと言われ、アメリカでは合う靴がないのである。私は靴の中敷だけに120ドルほどかけているし、今年佐野さんも新しい中敷にお金をかけた。ギャンブルに使うお金は惜しまないのに意外と道具にお金をかけていないのが原ちゃんであるが、先シーズンとうとうスキー靴を新調した。しかしそのスキー靴が合わなくて苦労していた。その原ちゃんが今シーズンもう一つスキー靴を買って来たと言う、それがなんと「ロス」で買った靴だという。「ロス」は主に衣料品を安く売るお店でるが、時たま変わったものを驚くような安さで売っている時があるが、スキー靴を売っているのは見た事がなかった。

普通、まともな靴は300ドル前後くらいするのであるが、その値段が聞いて笑ってしまうが2ドル45セントである。完全に二桁間違っているかと思う値段であるが、これが中古でなく新品、片足でなく両足分ちゃんとあるのである。ハンセンというメーカーの製品で年式は少し古いが、靴は痛くなければいい。そして去年買った高いほうの靴より痛くないとのことで、原ちゃん今シーズンはこのニュー・スキー靴で行くつもりの様である。

翌日も雲一つない晴天、シーズン始めの体の痛さも忘れスキー三昧の2日間であった。

2週間後、11月23−26日は感謝祭の4連休、2度目のマンモス行きであるが、11月22日の夜、どうせ連休前夜で夕方は、道路が混むであろうと、いつもより遅い6時に佐野さんのところに集合、夕飯にラーメンを食べて、もう道路も空いたころだろうと出発したのはは7時であった。ところが予想に反し、まだ道路は混んでいた。今回は向かいのコンドを持つカールの一家も来ているはずで、一年ぶりで再会すべく、マグロを持って、我々を待っているはずである。予定を大きく遅れ、夜中の1時に到着、するとコンドのドアの前に大きなアイス・ボックスが置いてある。カールが待ち切れず、マグロを置いて寝てしまったようである。開けてみると中に三頭のマグロが入っており、それぞれ30ポンド、20ポンド、10ポンド位の重さのイェローフィンと呼ばれる種類のマグロである。さっそくビールを片手に、解体作業に取掛かる。半分はビールを飲んでいた時間としても、作業が終わったのは午前3時であった。

それでも翌日7時半には起きてスキーの用意をしていると、向かいのカールが挨拶に来た。魚のお礼を言い、昼にスキー場の食堂で落ち合う事と、夕飯は一緒に食べる事を約束して、私達はゲレンデに向かう。さすがに連休のため、駐車場はすでに満杯であり、止める場所がない。荷物を降ろして佐野さんが車をコンドに止めて歩いて戻ることにする。コンドからスキー場まで歩いても5−6分であるので便利である。佐野さんを待つ間、リフト情報をチェックすると、今日はほとんどのリフトが動いている。リフトがほとんど100%オープンというのはおそらく今の時期、アメリカ全国でも数少ないと思われる。

2週間前に比べかなり暖かく、アイシーなスポットがあるかと思ったが、ゲレンデは充分にグルームされており、思いの他滑り易い。朝の滑りはまだ疲れが出る前なので気持の良い滑りができる。このコンディションでここマンモスは毎年アメリカはもちろん、カナダからもナショナル・チームがトレーニングに来る、そして今回は、日本のオリンピック ナショナルチームがプリ・シーズンのトレーニングに来ていた。そんな競技選手はたいがいメインロッジの前の斜面をつかってトレーニングしているが、日本チームが練習している様子がリフトの上から見られる。さすが、切れの有る滑りで、当然ではあるが、私らのリクレーション・スキーとの違いを見せつけられる。中にひとり若い女性がいる、男勝りの滑りをしているが、顔をみたら、佐野さん言う所の『きんたろうさん』、のような素朴な良い顔をしている。ひょっとしたら日本では有名な選手なのであろうか、活躍を期待して小さな声援を『金太郎さん』に送る。

昼、カールとミドル・シャレーの食堂で、落ち合いトムという、彼の友達を紹介され、一緒にランチを食べる。食後、カールがトムに一緒に一本滑ろうと誘うが、ついて行けないからと丁重に断られ、トムと別れる。その後リフトの上で私らにカールが聞く。「今のトムは一年前に退職したが、何をやっていた人だと思う?」と聞いてくる。なかなか上品な紳士で風格と威厳を持った人であったが、何をやていた人であろう。あれこれ職業を出すが、当たらない。何と連邦地裁の裁判官をやっていた人だという。カールの顔の広さには驚ろかされる事が、度々あるが、連邦の裁判官とは驚きである、そして黒い法廷服を着た、先ほどのトムさんの姿を思い浮かべた時、まさしくその服装が一番似合う裁判官を見た気がしたのであった。

夕刻やはりカールの友達で、昨年も会ったことのあるジョンさん夫婦が夕飯に招待されて、カールのコンドに来ていた。ジョンさんは81歳、サン・ディエゴ・スキークラブの創立者であり、1952年クラブを創立した時は、サン・ディエゴ・からマンモスまで今の倍ちかい時間をかけて曲がりくねった道を来て、駐車場の車の中で泊まったものだそうだ。そして歩いて山頂に登り、スキーを楽しんだその頃のスキー仲間の一人が、前のマンモス・スキー場のオーナーである、マッコイさんであったそうだ。(マッコイさんは数年前、会社としてのマンモス・スキー場をカナダのウイスラー・スキー場も経営する株式会社に売ったが、今だに、個人としては筆頭株主と聞いている)

既にジェネラル・ダイナミク社を数年前に退職しているカールは、ここ一年くらいは『パール・ハーバー』という映画の撮影に俳優として参加していると言う。最近佐野さんは「カールの話は半分として聞け」というが、人脈はかなり凄い事を認めざるをえない。一方、魚のことでは、釣り船一隻、30人で2000頭マグロを上げた、などという話は佐野さんによれば、1000頭が良い所だというのであるが。そんなにあげたら船に収容し切れないし、体力的にとても持たないというのだが、真偽のほどは判らない。今回の彼の持ってきたマグロも電話の話では50ポンドと言っていたが、せいぜい30ポンドしかなかった。尻尾が取ってあったので、尻尾が20ポンドあったのであろうとカールをからかうのであった。

ところで今回、楽しみにしていた事が一つ、金曜の夕方カールとヴァージニアの自慢の一人息子、エリックが一時帰国しており、昨年結婚したスゥエーデン人の奥さんと夕食までに来るはずと聞いていた。エリックは4年間、スゥエーデンに留学していて来年の春には卒業して帰国するという。そのためカールと知り合って3年になるがカール夫妻とエリックの親友ニールから話は頻繁に聞かされていたが会う機会がなかったのである。

そんなエリックに実際に会えるのは両親が両親なだけにちょっと興味がある。『今夜は魚の日』と決めマグロを使った日本料理4品ほどとツナ・カレーを用意して二人を待ったが、結局来なかったので、そのままエリック夫妻抜きでの夕食となってしまった。

翌土曜日の朝、出掛けに誘ってくれと言っていたカールのドアをノックすると、カールが出てきて、「今朝3時に息子夫婦が着いたので、もう少し寝てからスキーに出るから、昼ミッド・シャレーで会おう」と言う。午前中、グルームしてあるゲレンデは雪質も良く、気持良く滑れる。モーグルが楽しいのだがそれだけだと疲れるので適当にゲレンデスキーで流しながら、時たまモーグルをする様にしないと一日体力が持たない。早々と原ちゃんが休みを要求する、二人は休憩にロッジに入るとすぐにテレビの前に行ってフットボールの観戦をするのが常である。といっても二人がそんな健全なはずがなく、ギャンブルの対象としての興味で観ているのであるが。

やがてカールが息子夫婦を連れてやって来た。エリックはなかなかの男前、そして奥さんのシンシアはスゥエーデンでモデルをやっていたという22歳のすごい金髪美人である。

まずは挨拶、エリックもカール同様かなりフットボールが好きなようである、佐野さんは大概のアメリカ人のフットボール好きでもかなわないほどの知識をもっている。(そんなことに記憶力の全てを使ってしまっているので最近物忘れがはげしい、…とお互いに言い合っているのであるが)佐野さんはどんなアメリカ人とでも何時間でもフットボールの話が出来る特技を持っているが、エリックも佐野さんがここでは外国人なのにアメリカの国技フットボールに自分より詳しいので只者ではないと思ったようである。食事をしながら当たり障りのない話で彼の人となりを観察するが聞いたとおりのなかなかのナイスガイである。エリックも両親とニールから常々我々の事を聞いて会ってみたいと思っていたそうである。食後皆でゲレンデに出て一緒に滑ることにする。エリックはもともとスキーヤーであったが8年前からスノーボーダーだという。初めての人と一緒に滑るには全員のスキー能力を知らないとコースが選べない。こんな時は大概、私がコースを選ぶ、問題はシンシアであるが、スキーを履いて歩く姿を見たら私にはだいたいのスキー能力が判ってしまう。彼女は大丈夫のようである。中の上くらいのスキーヤーで、どこでも付いて来れる能力がありそうである。

「レッツ・ゴー」の掛け声と共に私が先頭を切らせてもらう。エリックが横を滑る、ショート・ターンのかなり上手いスノーボードをする。

何本か滑りエリックが言う、「カールがスキーが上手いと言って、本当に上手かったのは君達がはじめてだ」と称賛してくれる。カールは実の息子からも話半分と思われているようである。

その夜、私達は外食のつもりであったが、カールが是非エリック達に刺身を食べさせてあげたいというし、昨日の料理がかなり残っているので、カール家でディナーを一緒にすることにした。奥さんのバージニアおばさんの話はいつも面白いが、まじめな話も出来る。副大統領ゴアを応援する民主党員で、ゴアの奥さんを個人的に知っていると言う。大統領選のもつれで今話題の人である。どの位の知り合いか知らないが、ヴァージニアの面白い話を聞くためには、誰でも電話をかけたくなるような人柄であるから、カールの話より真実味がある。

食後我々が部屋に引き上げた後、両親をおいて、エリックとシンシアが予ねての打ち合わせどおり、2次会に訪ねて来る。私も佐野さんもスゥエーデーンに行った事があるので、昔旅をした時の話から隣の国デンマークの話に、コペンハーゲンの人魚像は童話とはかけ離れた夢のない場所にあった、とか、人魚姫、マッチ売りの少女を書いたアンゼルセン物語、私がもう一人のマッチ売りの少女の話をしてあげたら大受けであった、どこの国にもある話かと思っていたらそうではなかったようである。

彼らがスゥエーデンの学生生活を話してくれる、スゥエーデーンの大学では新入生歓迎の催しとして、ビール2ダースを何時間で飲めるか、というのがあるそうだ。時間無制限であるが、24本早く飲み終えたものが勝ち、途中げろを吐いたら、ペナルティーとしてさらにウオッカ2ショットという、いったてシンプルな、それでいて日本の一気飲みより自分のペースを守れる安全なルールであると思える。エリックはずっと2位につけていたが、最後に先をいっていた学生がビールを口からゲロったので優勝が転がり込んできたそうである。時の過ぎるのを忘れ笑い転げ、それでも翌日のため、午前1時に就寝であった。

翌日、久しぶりの4連日のスキーで、かなり皆くたびれている。裏山の方に今期からオープンした“イーグルス”という6人乗りのリフトに話の種に乗ってみようと、遠征する。これが山頂から廻りこんで行くと正に遠征、コースは上級者コースからだんだん易しくなって行くが長い長いコースである。このコースがマンモス・スキー場でノン・ストップで滑られる一番長いコースである。もう少し雪があったらいいのだが、時たまコース上に転がったり、飛び出た石にのってしまう“石蹴り“が入ってしまう。

この滑りがいのある一本を終え、11時半には、コンドに戻り帰りの仕度をする。カールの一家も荷物をまとめていた、再会を誓って我々は今回最後の目的地へと急ぐ。それは前回佐野さんが見つけた我々の知らなかった温泉に寄るためである。

ビショップからさらに南に約10分ほど走った所に、昔ながらの温泉が出ていて、6ドルで入れてくれるのである。そこは395号線から注意していないと見過ごしてしまう、細い道を入ってすぐ、ひなびた薄緑色の木造の建物で、ぬるい温泉プールと30−40センチの深さの40℃の温泉とがあり、訪れる人も少なく、ノスタルジックな憩いの場所であった。客はほとんどが地元の人らしく、余りよそ者には知られていないようだ。なにせ我々もマンモスの行き帰りに、何度もすぐ側を通りながら知らなかったのだから。温泉に浸かってみる青空に、白い枝と金色の枯葉が美しい。

このサンクス・ギビィングの連休が終わると、街は一斉にクリスマスへと向かう。帰りの車の中で今年最初のクリスマス・ソングがラジオから流れる。所々に行く時にはなかったクリスマスのライティングが見える。

そして、もうすぐ20世紀も終幕となり、21世紀のオープニングとなる。

HAPPY HOLYDAYS TO ALL OF YOU!