10月14日 2007年
芸術の秋、ポールゲティー美術館のマリブ館に行ってきた。ポールゲティーはサンタモニカに新館をオープンしてから、マリブにあった旧館を2年間くらい閉鎖して改築をしていたが、もともとがポールゲッティー美術館と言えばこのマリブの建物のことであった。ここはゲティ・ヴィラと呼ばれローマのベスビオ火山で埋まったローマ式邸宅をモデルに作られた美術館でそのロマンチックなたたずまいが美しくて好きである。今回は改築が終わってはじめての訪問であったが期待どおり、改築前の雰囲気をそのまま残してくれていた。
古代ローマと古代ギリシャの古美術を収穫に展示されており、合間に付属のレストランでワインを飲みながら昼食、ちょっと気持ちよい秋の一日であった。
      

      

9月15日  2007年
日本に帰国したり、あわただしく夏が過ぎ去り、気が付けば中秋の名月の季節である。芸術の秋に入ろうかと言う先日,
カナダのモントリオールに本拠を置くサーカス、サーク・デ・ソレイユの新しい出し物 『コルテオ』を見に行ってきた。
数年前日本でも話題になった アグレリアをはじめ、ここの出し物はラスベガスでやっている幾つかの出し物のなかに、まだ見ていないものがあるが、そのほとんどを見ている。
昔のサーカスと違い、見て、聞いて楽しむサーカスであり全体がテーマを持ったスト−リー仕立てになっている。歌と生演奏の音楽を交えながら美しい舞台で世界中から集められた出演者が曲芸の””技を見せてくれる。昔のサーカスに付き物であった動物の登場はないし、曲芸も形を変えすべてが斬新である。完成された舞台劇のように見るものを引き付けなおかつ芸術的な要素が大きい新しいエンターテイメントとしての地位をすでに築いている。

4月22日 2007年:高田公園のカタクリ
 私が『カタクリに願う』というエッセイを上越タイムスで発表して以来、家内の知り合いを通して高田公園の売店の人に依れば、「私が植えた」と言う人がその後3−4人名乗り出て居ると聞きました。
 
 カタクリのエッセイを書いた著者の責任として確認を取りたく、母に電話をした際聞いてみましたら、今ある6ケ所くらいの群生は、最初に植えた櫓のある土手の上から上越支庁舎の向かい側までの公園の内堀の土手の方々に何度も時間をかけて夫婦で通って植えたものだそうです。
今、大きくな群生になっているのは土手の上部に植えた種が計画どおり、段々と下に落ちて増えて来たものだと言います。正確な情報を残す為にも息子の私が伝えなければという気持ちでしたが、その公園の売店の人にこのカタクリを植えた話を何度かしたのは母だそうです。

父は元々植物の専門家であり、自分で返上するまで、日本菌種(茸のことです)学会新潟県支部副会長 (会長は新潟大学の教授)という公の植物関係の肩書きを持っていました。茸だけでなく植物、生物に関する研究をしてきて造詣が深く、20年ほど前「高田公園の木」という高田公園に限定した自作自筆の本も出していて上越図書館に寄贈しています。高田公園内に何本どんな種類の木があるかまで調べ記録していますが、その2巻の最後に、「野生の草花」としてこのカタクリのことが書いてあります。昭和60年、父はこの公園の中に野生の花の群落を作れないかと思ったそうです。そして昭和61年からカタクリ、いわかがみ、いちりん草などを植え続け、いわかがみは成功しませんでしたが、カタクリといちりん草は根付き、本来無かった野草の移植であったため、この本にその記録を書き残したといいます。
公園の売店の人にしてみれば私の父が計画し、それを実践したのは父と母ですから、その関係が分からなかったのかと思いますが、「私が植えた」という話をした一人が高齢の女性であったなら、それは実行者の一人である私の母です。
 
他にも私が植えたという人が居ても、その真偽のほどはわかりませんが、カタクリは植えて数年で根付く物ではありません。そのかなり前(1986年)からカタクリを方々に植えて来た私の父と母がいた事を伝えたいと思います。


2月19日 2007年
アースリンクのインターネットへの接続が出来なくなり顧客部門に電話を入れた。以前にもトラブルはあったが、
今回は電話会社もアースリンクにして、トータルでいい値段を貰うといういうサービスの内容を変える手続きをしたばかりだったのでその辺に原因があるとは思っていた。
最近のIT企業のサービス部門は人件費の高いアメリカ国内でなく,英語を話せて比較的教育レベルの高いインドにサービス部門を持つ企業が多いが、アースリンクもそうであった。長く待たされてつながった先はインド、幾分訛りが強いが良く訓練された人が対応にあったてくれる。一度電話のプラグをぬいてその間にテストをしてくれたりして、4時間後にもう一度電話をくれるようにいわれ、電話をした時にはもう直っていた。インドからロサンジェルスの故障を直してしまうのだから大変な世の中である。それでも駄目な時は初めてアメリカ人のメカニックが家に来てくれたりするのであるが、休日にも係わらず24時間体制でまさに時代は時間と空間を超越しつつあるのだと実感した一日であった。

10月22日2006年
11月9日がマンモスのスキー場開きである。トレーニングを兼ねて紅葉を見る山歩きに行ってきた。シェラネバダ山脈マンモスの周辺にはまだまだ私の知らない美しい山岳部が沢山ある。今回行ったのはマンモスから30分ほど北に行ったバージニア湖とビショップから山に入ったサブリナ湖周辺である。
土曜日に2時間半、日曜日に1時間の山歩きであった。こちらの紅葉はあまり赤色が無く、色合いでは日本の紅葉には叶わない。ここの紅葉の盛りは1-2週間前であったと思うが、それでもまーまーの紅葉を楽しむことが出来た。5ヶ月ぶりに雪の上を歩ことも出来た。もって行ったワインを開け、自然の中で飲むワインの美味さは格別であった。
      

10月7日2006年
我が家のすぐ裏手に結構なサイズの公園がある。そこの駐車場のスペースで毎週火曜と土曜の午前中、ファーマーズマーケットが開かれる。土曜の朝は大概ジョギングをして公園に行き、果物などを買って帰る。今朝、この公園では珍しい一人のホームレスを見た。周りの環境からしてこの公園でホームレスを見る事はほとんどない。ビニール袋を持って今しがた起きたような、その70歳くらいの老婆が気になり、帰りがけに5ドル紙幣を出して、「何か食べてください」とあげようとしたら「どうもありがとう、でも私お金は受け取らない事にしているの」という。それではマーケットで買った果物でも、と差し出すと「今はお腹一杯だから」と頑なに断る。お腹が一杯のはずがないが、それは彼女のプライドか、私が余計な事をしてしまったのかもしれない。単純に本当に必要な時、使って欲しくて差し出したお金であった。ホームレスに成りたくて成る人は居ない。努力が足りなかった、運が悪かったという簡単な言葉で語れる事ではないだろうが、今はどうにもならない自分の置かれた状況に苦しんでいるはずである。まして彼女の年齢では毎日の辛さがわかる。私は人間が動物と道端の食べ物を奪い合う光景をインドでみている。本当にお腹が空いていれば、人間もプライドを保つ事はできない。幸い裕福なアメリカでは、ファーストフードのお店のゴミ捨て場に行けば、いくらでも作り置きの賞味期限が切れた食べ物が手に入ると聞いたことがある。きっと彼女はまだ私が思うより生活が出来ているのだと思いたい。それ以上私に出来ることはなかった。


9月25日2006年
最近ロス界隈で良く眼にする濃いピンク色の花を一杯咲かせた木があります。パンヤの木またはトックリワタノキと呼ばれる南米原産の木だそうです。花が終わると徳利のような形の15CMほどの実がなり、実がはじけると綿に似たパンヤが採集できる事から日本ではトックリワタノキまたはパンヤの木といわれるそうですが。こちらでは「フロスシルク・ツリー」と呼ばれると最近の新聞にありました。ロスでもついここ2-3年で目立ってきた意外と新参者の木です
  

9月18日 2006年
これは誰でしょう?
先日、ビバリーヒルの高級街、ロデオドライブにて、パパラッチされている女性を発見、即パパラッチさせてもらいましたが、誰だか分からない。サングラスをかけていますがカメラマンが7人くらい群がっていました。誰だか分かる人がいたらお知らせください。
  

  

9月17日  2006年
これは何でしょう? 
今日、中国系のマーケットで買ったドラゴン フルーツといいます。私もいろんな物を食べてきましたが、この果物の名前は聞いたことがありましたが、現物を見て食べるのは初めて。値段としては今の季節、この大きさのドラゴン フルーツ1個がスイカ2個くらいの値段でした。(約1000円)
まずは、その派手な見てくれに驚かされ、ドラゴンと名づけた意味が分かります。サボテンの実に似ていると思い調べましたら、やはり、サボテンの実の一種でした。中にはシャーベットのように均一な果肉が人工的に詰めたようにみっちりと入っています。
食感はちょっとキュイ フルーツに似ていて、上品なほの甘い味ですが、果実の甘さを期待すると裏切られます。甘味の少ないスイカくらいの甘さです。キュイのように、ゴマ粒くらいの大きさの種がプチプチと口の中で邪魔にならない程度に弾けます。
味そのものより、そのインパクトの強い形と色が好奇心を刺激する果実でした。
    
甘味の薄いスイカに近い味      何だ?我が家の猫も大騒ぎ     作り物のシャーベットのよう

2月19日  2006年
世界に最も「良い影響」を与えているのは日本。という結果が米メリーランド大が世界33カ国、約4万人を対象に実施した英BBC放送との共同世論調査で出た。(ワシントン共同) 

33か国中、日本が悪影響を与えているとの回答が好影響を与えているとの回答を上回ったのは調査国では想像通り、韓国と中国だけ、残り31カ国ではすべて日本に好意的な結果が出た。
インターネットの中国、韓国の日本語新聞にも目を通しているが、報道規制で国民への情報を制限している中国、韓国でこのような調査結果が国民に知らされる事は絶対にない。自国に都合の悪いことは発表しない体制であるから国民は与えられた情報だけを基に、結果的に洗脳されているのである。
 
一昨年の中国原潜の日本領海侵犯事件、去年の日本領事館破壊事件、最近明らかになった上海総領事館領事自殺事件等、いずれの場合も日本政府の抗議に対し中国政府からの謝罪はないし、まともな回答もない。これは国際ルールを無視する横暴である。
国際ルールに基づいて日本はもっと激しく非難、謝罪を要求すべきであった。靖国神社参拝に於いてもそれがなぜ直ぐに戦争賛美となるのか、靖国神社を参拝する人で戦争賛美のつもりで参拝している人がそんなにいるとは思えない。A級戦犯に関しては賛否両論があるが、国のために命を落とした人達のことを忘れないように参拝し、戦争を繰り返さないように誓うのはのはどこの国でも当たりまえのことで、外国から非難、中傷を受ける事柄ではない。日本政府の今までの中途半端な態度と対応の悪さがこの問題で他国が強気に出て事柄を複雑にしている。
 
中国、韓国、北朝鮮に於いては国民感情を国内に向かわせないために日本を悪者にして置かなければならない事情がある。一つでも日本に対し謝罪したら、戦後一貫して自国民に対し主張してきた日本悪人説が崩壊するきっかけとなるかもしれないと恐れているのであろう。韓国はヨーロッパで竹島が自国の領土だと一方的な主張をキャンペーンしている。自国民を竹島に住ませ、既成事実を新しく作ろうとしている。日本はもっと自国の主張をキャンペーンするべきである。日本の主張が届かない所では彼らの主張が正しいと思われてしまう。外交は日本的に遠慮していたら負けである。自己主張をしてその上で話し合いをするべきで、日本の異見が届かない所で国際世論が形成されるのを防ぐのは外交の基本戦略だと思う。
 
そんな中、今回の調査結果は嬉しいニュースであった。外国に住んでいると余計にオリンッピック同様、「頑張れ、日本!」と応援したいのである。


12月15日 2005年
12月12日の午後に喉の腫瘍の原因と思われる胃液が食道、喉に上がるのを防ぐためのFundopulicationと言う、胃の上部を狭める手術を受けました。
今回はトーレンス メモリアル メディカル センターに2泊3日の入院でしたが、アメリカの病院の様子を伝えたいと思います。

手術はドクター高橋と言う日系の女医さんで腹腔鏡による手術の専門医により行われました。腹腔鏡を使った医学技術の進化は今日の外科手術を大きく進化させています。腹部に6箇所の穴を開け、約3時間の手術でしたが、開腹手術でないので回復は目覚しく、手術の翌日には歩かされ、2日目には退院でした。
病室はほとんどが個室で、私が入ったのは日本で言えば8畳くらいの部屋に洗面所と広いシャワー付きのトイレが付いていました。
手術の後は両足の太ももまでサポーターで包まれ、そのサポーターに15秒くらいの間隔で空気が送り込まれ、足全体を締め付けた後すぐに空気が抜かれます。これにより足のむくみを防ぎ、より多くの血液を患部に廻し、回復を早めるという事かと思います。
ベッドは高さ、角度を自分でコントロール出来、さらに手を伸ばせば起き上がる時に掴まれる器具が頭上にぶら下っています。
手には点滴がされていますが、手術後は自分でボタンを押せば痛み止めが自動的に供給されます。痛み止めは管理されているので必要なら何度押しても良いといわれました。私の場合は最初から神経、腹筋を傷つけない位置に穴を開けていますのでほとんど必要ありませんでした。
手元にはテレビのコントローラーがあり、看護婦の呼び出しボタンもそのコントローラーに付いてjます。テレビの音声もそのコントローラーから出ますので、真夜でも他の患者の迷惑になることなくテレビを見られます。またテレビでは日に何度かケーブルによる映画が放映されていました。
面接時間は表示すらなく、夜のよほど遅い時間以外はほとんど制限がないように思いました。

以上、すべてこれは個室のリクエストとか、なしで受けた病院での待遇でした。私は日本の病院には30年くらい入院していませんから昔の大部屋の記憶しかありません。もちろん病院によって違うでしょうが、おそらくこの待遇は日本では別料金の特別病棟でなければ望めないものかと思いますがいかがでしょうか? 

手術から5日目、まだ固形物は食べられません。来週火曜日にドクターに会うまでは口に出来るのは水分系の物だけです。退院した翌日から家のベッドの上から会社のコンピューターに接続して仕事をしています。昨日は散歩がてら、ビデオ屋さんに行って日本のテレビ番組のDVDを借りて来ました。
静養を癒してくれるのは先月から我が家の一員となったブルーグレーの子猫、うーちゃん(牛若丸)です。元気一杯の男の子で、すでに老境に入った藍と蘭丸の2匹は静かな生活をかき乱されて戸惑っていましたが最近やっと少し慣れてきたようです。跳ね回って遊ぶ子猫を見ていると改めて健康の大切さを思うこの頃です。
クリスマス休暇が終わるまではこの状態が続きます。案外早くスキーに行けるかも知れません。お暇な方はメールをください。

それではメリークリスマス、そして良い新年をお迎えください。


12月4日 2005年
麺類全般とりわけラーメンが好きで、旨いラーメンを食べるためなら長いドライブも厭わない。今までの最高は一杯のラーメンを食べるためにサンディエゴまでドライブしたことがある。ロスアンジェルス周辺のラーメン屋さんはほとんど制覇し、気に入ったラーメン屋さんにはたとえばレセダのラーメン日本には50回以上行っている。片道45分のドライブである。
さて先日来、サンタモニカ近く、ソーテル地区に「ちゃぶ屋」と言う、日本に何店か持ち、ラーメンチャンピオンになったことがある森住康二と言う人のラーメン屋さんがオープンした。先週金曜夜行ってみたが、午後7時くらいで表に数人待っていた。店内はほぼ満員であるがほとんどがラーメンの出てくるのを待つ人たちであった。二人だったので10分ほどの待ちで席につけたが、オープンキッチンで働いている人たちは客が待っている割には頭数だけ多くて忙しそうにしていない。焼きそばも入れて3種類のラーメンすべて頼んだが、出てきたラーメンはどれも期待はずれ、一番基本の醤油ラーメンは、茹でた麺がほぐれていなく、固まったまま、味はとんこつ味で脂っこく、さっぱりとしていない。焼きそばはイタリヤ風スパッテイ、その他のサイド料理もイタリア風のコンセプトか?狙いは分かるが完成度が低い。思うにオーナーシェフが作ればもっと違うのであろうが、実際に作っているのは新人で数日間講習を受けたくらいの人たちがほとんど、隅々まで気持ちが行き届いているとは思えない。帰ってからも口の中にとんこつの匂いが残っている。これが日本で評判を得ているラーメンか?とインターネットで検索して、出てきた写真は先ほど食べたものと見てくれからしてかなり違い、スープは澄んでいるが黒っぽくて、うまそう。思うにアメリカ進出と言うことで味を変えている。外人客を意識しすぎ、もう一度てこ入れしないとリピーターが少なく、このままでは客足はだんだんと落ちていくのでは?我々はイタリア風のラーメンが食べたい訳じゃない。ラーメンはもっとコテコテの日本食でいい。外人客も日本のラーメンを期待して来ているので、下手に味をアメリカ向けに変える必要はないのでは?2ヶ月位したらもう一度行ってみますが、その時に進化して、より良い味の研究成果が出せているかいないかで再度評価してみようと思います。

さて、私の住むトーレンス、ガーデナ地区ではお店の数の割には旨いラーメン屋さんがありませんが最近、ウェスタンと182番ストリートの一角に「ガーデナラーメン」というお店が出来ました。看板も地味で、名前もダサい。一応新しいお店はチェックすることにしていますので期待せずに行ってみました。
メニューは醤油ラーメンと味噌ラーメンだけ。一度目に行った時は醤油を食べたのですが、これが思いのほか美味しい。2度目に行って醤油と味噌を頼んでみましたが、一度目より量も増え、少し良くなっていました。こういう研究熱心な店は大好きです。夜は他の客も居なかったのでオーナーシェフと話してみました。元寿司職人の中村さんと言う方が一人で皿洗いまでやっており、毎日仕込みに10時間かけ、いまだ試行錯誤で研究を続けているそうです。ちょっと味が定まると、すぐにメキシコ人とかに作り方を教えて任せてしまうラーメン屋さんが多いアメリカで、すべてをオーナー自身がやっているところを他に知りません。旨さの秘密は煮干とニョクマム(魚醤)、数日前に行った時から麺の太さも、量も変えていました。さらにもう一段階細い麺にしてみようと思っています、旨いラーメンを作ろうと思ったら食材にお金が掛かるんですよ」、とおっしゃっていました。チャーシュはまだまだですが、この研究心は必ず報われることと思います。近いので来週また行ってみようと思います。

期待して行ったのに大した事のないお店があり、期待しないで行ったお店で旨いラーメンに出会うこともある。
とりあえず、話題のちゃぶ屋よりガーデナラーメンの方が私のお勧めです。今後どう変わっていくかが楽しみです。


11月18日 2005年
我が家に今週からもう一匹子猫が加わりました。
10月2日生まれの子猫で男の子,名前は「ウーたん」と付けました。
もらわれて来たその日から喜んでゴロゴロ言っていましたから、自分の置かれた状況をちゃんと理解出来る利口な子猫だと思います。

後は藍ちゃん(10歳)、蘭丸君(9歳)の先住猫達と仲良くなってくれることですが、まだまだ時間が掛かりそうです。
すでに何度かちら見をしていて、2匹ともテリトリーによそ物が入って来たことに気づいていて機嫌が悪いようです。

おそらく2匹の間ではこんな会話がされているのでしょう。
藍 「見た?見た?あのちっちゃな変な奴?自分だけ可愛がられて気に入らないわね」 

蘭丸「見たよ、ちっちゃいくせに態度がでかいよね」

藍 「猫パンチしちゃおうかしら」 

蘭丸 「猫キックしちゃおうかな」 

藍 「でも男の子だから大きくなったら立場が逆転したら大変だし、仲良くしておいた方が良いのかしら?」 

と話し合っているようです。
時間はかかりますがやがて仲良く, 受け入れてくれると思うのですが。

                                

母猫の愛     2005年 11月4日 

最近よく野良猫が庭に来て、家の猫たちが外を見て騒いでいる。10月最後の日曜日昼近く、それとなく庭のベンジャミンの木の根元を見たら其処に4匹の生まれて3週間くらいと思われる子猫を見つけた。4匹は逃げることもなく固まってこちらを見上げていた。2匹は黒で2匹は青灰色、尻尾を入れないで15センチくらいの大きさか。シダに囲まれた木の幹と塀のコーナーにちょうど隠れられるくらいのスペースがある。先日、木の枝落しをした時には居なかったから、どこかで産み落として、ここ数日の間に母猫が連れて来たようだ。  

実は今年の春にもコンプレックスの中に5匹の子猫が居て、いつの間にかいなくなったが同じ母親である。さて、この子猫たちをどうしたものか、取り敢えず裏手のユニットに猫好きのおばさんが住んでいるので彼女にどうしたら良いか相談に行った。彼女は今までも何度か野良猫の世話をして、この母猫も捕まえて避妊手術を受けさせようとトラップを仕掛けるが、どうしても中に入ってくれないのだという。この母猫にも餌をあげていて、この子猫たちも数日前まで彼女のところの庭にいたそうだ。自分で餌を食べられるようになったら捕まえようと思っていた矢先に子猫がいなくなり心配していたところだったそうである。猫好きの人が分かるのか今度は私の家の庭に子猫を隠して住処にしようと思ったようである。

母猫が戻らない間に彼女の持ってきた籠に子猫をいれる。実際に手に持って見ると、まだ外敵の怖さを知らないのか、おばさんが小さなときから話しかけていたせいか、大人しく持たれている。柔らかな良く手入れされた毛に5センチくらいの筆のような尻尾が本当に可愛い。世の中には2種類の人種がいる。猫好きと猫嫌いである。猫嫌いという人はほとんど、猫の可愛さに接したことがない人である。この子猫を見たら世の中にこんなに可愛い生き物は居ないと思える人が増えると思う。

飼い猫は野良猫より寿命が3−4倍長いのである。母猫には悪いが野良猫として厳しい自然の中で短い一生を終わるより、ここで捕まって貰い手を探してもらう方がはるかに安全で幸せな猫生を送れるので猫おばさんに後を託すことにした。

 外食から帰ると家の庭に母猫が来て悲しそうな声で子猫を呼んでいる。人の言葉がわかれば「子猫は保護されて貰い手を捜してもらっているんだよ」と伝えたいのであるが、急に4匹の子供が居なくなった母親の悲しみはいかばかりのものか。

それから、まもなく1週間になろうとしている。その後も頻繁に、胸を裂くばかりの母猫の子猫を呼ぶ声が聞こえるのである。親が子を思い愛する気持ちはすべての生き物が持つ本能である。母猫の愛情はきっと子猫に伝わっていることだろう。子猫ちゃんには母猫の分も幸せな猫生が待っているに違いないと思うのである。

ロサンジェルス界隈に住む方で子猫を飼ってくれる方が居たらご連絡ください。

7月24日2005年
久しぶりに野球を観に行ってきた。アナハイム エンジェルス対ニューヨーク ヤンキース。
もちろんヤンキースにいる松井がお目当てである。試合開始は日曜の午後1時からだが、1時間ほど早くついてしまった。この対戦は7月21日からの4連戦で今日が最後の試合、ここまではヤンキースの3連敗で今日はなんとしても勝ちたい試合である。このところの快晴続きで直射日光の当たる座席は暑い、しかし敵地のアナハイムでもヤンキース ファンが思いの他、多いのには驚いた。私たちの席はエンジェルスのベンチサイドなのに周りにはヤンキースを応援する人の方が目立っている。
エンジェルスが1回裏1点をいれた後、得点のない回が続き、松井も最初の2打席はいずれも良い当たりなのだが、フェンス近くで減速して補球されてしまう。進展がなく、ちょっとねむくなった7回表、ランナーを一人置いて回ってきた松井の3打席目、「なかなか気合が入っているな」と思った直後の大きな当たり、今度はフェンスを越えて2ランホームランとなった。一番良いところで出たこのホームランが決めて手となり、4対1でヤンキースの勝利となった。
地元のチームがどうのこうのより、やはり日本人の選手、日本人のいるチームを応援してしまう。しかしこれも地元意識の一種であり潜在的な帰巣本能なのかもしれない。

5月29日2005年
日本では最近になってやっと盗難カードや不正に使われたクレジットカード、キャシュカードに対する補償が話題になり条件付でその一部がカード会社から支払われるということだが、その対応の遅れは信じられないことである。
クレジットカードはその便利さを謳って普及されてきたのだから、いざと言う時の補償があって当然である。インターネットやメールによる購買が増え、クレジットカードの情報が盗み取られる機会も増えている。しかしアメリカでは消費者の立場を守る事が最優先とされ、この種の被害に対しては昔からほぼ100%カード会社が補償してくれるのが常識である。私も過去にレジに置き忘れたカードを誰かに使われたことや、インターネットで勝手に7箇所くらいで買い物をされた事があったが、カード会社で簡単な手続きの後、全額補償してくれた。これがあるから安心してカードを持ち歩く事が出来るのである。クレジットカードの会社から毎日のように加入勧誘の手紙が来るが、せめてもの自己防衛で私の場合リミットの高いカードが2種類あればそれ以上はいらないと思っている。
キャッシュカードに関しても補償はほぼ無条件でされている。そもそも大概の自動キャッシング機では一日で下ろせる限度額は$400.00と言うところがほとんどである。カード社会ではそれ以上の現金が必要だとは思えない。日本のように自動支払機で一回で何百万円も引き出せてしまう社会こそ異常であり、それを当たり前と考えることもまた世界の常識からは遠く離れていると思う。

そのほかアメリカでは消費者を守る法律は徹底していて、昨日も家内にデジカメを買ってあげようと思い、ターゲットと言うストアーで中国製のデジカメを買った。家に持って帰り、セットアップをしてみたが私が使っているキャノンに比べ、あまりに使い勝手が悪いので返すことにした。返すといってもすでに梱包は破られ、セットアップ中に付属の乾電池は使い切り、試し撮りはされ、いわばすでに中古品である。ほとんどのお店には返品ポリシーというのがあって、事前に再梱包代として15%頂きますとか、この種の返品は出来ませんと言ってなければ普通領収書があれば2週間以内の返品が可能である。今回のデジカメは特に返品に制限がなかったのでお店のカスタマーサービスのカウンターに持っていくと、気に入らなかったという理由だけでそれ以上の追求もなく100%返金してくれた。そのしわ寄せはメーカーの方に行くようであるが、アメリカで物を売ると言うことは消費者に対し責任を持たなければならないと言うことで、売っておしまいでは済まされない。

 家内によれば女性陣はもっとすごく、知り合いには一度着た洋服を返しただの、使った口紅を色が気に入らないといって返しただのという武勇伝のような話を聞く。そういえば私も一度使ったスキーを返したことがあるが大手のスポーツ具店はスキー用品など気に入らなければ満足するまで調整、返品可能をセールスポイントにしているチェーン店がある。日本での商いとはクレームを付けさせない完成された品物を売ることが最大のサービスと考えられてきたが、外国からいろんな物、システムが入ってきて日本独自のサービスのあり方も変わっていかなければならないのかと思う。

昨日は結局、違うお店でキャノン製のデジカメを買った。デジカメは日本製、それも後発の電器メーカーでなく、元からのカメラメーカーに一日の長があると聞いた。

4月30日2005年
3月11日に3度目になる喉の手術をUCLAのメディカルセンターで受けました。医者にも野球で言えば草野球のレベルから松井、イチロウといった天才クラスまでいろいろ居るわけで、打率と言った数字がでないので、医者に関しては我々素人にはどこのどなたが腕の良い医者なのか分からない。最初に見てもらったワシントンさんははずれでした。今回のドクターベーカーはUCLAの教授であり喉の手術に関しては全米でも有名な方だと聞いています。。今は食事等、生活スタイルを変えて再発防止・回復に努めていまづが、手術の後の結果がどうなるかは最後は神頼みということでしょうか。人間の無力さを感じますが、回復する力になる免疫力を高める努力を続けています。 

10月23日2004年
今朝起きたら新潟で地震があったとのニュースで、実家に電話してみました。私の実家は新潟の西部になりますので、震源地からは離れています。それでも震度5が何回かあったようです。

新潟地震以来最大の揺れだったと母がいっていましたが、幸い家では被害はなかったそうです。
 
さて、最近、男にも更年期障害があるのかなと感じています。
私の場合、昨年の暮れから喉の具合が悪く、6月にポリープの摘出手術を受けたところまでは皆さんにお知らせしましたが、その後も具合が悪く、みてもらいましたら、ドクターが言うには全部採ったと思ったが、取り残した部分があったようだ、それがまた腫れだしているので9月に再手術といわれました。しかしドクターのオフィスが引越しのため手術は一月くらいも延びて、10月7日に再手術を受けました。今回は再発しないために前回より深く切ったとかで10日間話せませんでした。その上、この手術の遅れが、前から予定していた視力矯正手術と1週間の差で重なってきて、1週間で2つの手術をうけることに。喉はやっと月曜18日から声を出せるようになりました。悪性でないとは言われていますが、喉の異物感であまり眠れず、話せず、仕事のストレスも重なり、精神的に結構落ち込んでいました。
目の矯正手術は結論から言えば得たものと無くしたものが同じくらい。最新のウエーブという手術を受けたのですが屋外では確かに眼鏡なしでよく見えます、しかし老眼が強くなって室内ではやはり今度は老眼の眼鏡が必要です。それも今までは本を読むのに裸眼で読めていましたが、今は老眼鏡なしでは全く読めません。手術後1−2ヶ月は安定していないのでもっとよくなるはず、とドクターはいいますが、老眼に関してはそんなに良くなるとは思われません。
 
体調が悪いと精神的にも暗く、物事をネガティブな方向にばかり考えてしまいます。出かけるのが億劫になり、考えなくてもいい事を必要以上に気にして考えてしまうと、さらに体調を悪く感じてしまうという悪循環でした。まさに男の更年期障害です。
 
何とかしなければと考え、まず帰ったら20分ほど散歩をはじめました、さらにヨガを始めることにしました。今はまだ2週間ほどきつい運動をしないよう言われていますので、ヨガの本を買ってきて呼吸法を中心に独学中ですが、一日30分でもかなりの効果を感じます。家から5分圏内に2箇所ヨガの教室がありますので来月から週に1−2回通い初めて見ようと思っています。
 
マンモスから雪の便りが届く季節になりました。
6月26日2004年
声帯に腫瘍が出来、昨日金曜に手術しました。「見たところでは悪性ではないでしょう」と言われています。
思えば昨年の秋から幾分喉にいらいら感がありましたが、そのころ流行っていた風邪は喉をやられ長引くと言われており、年が開けてまた風邪をひいた時も同じ様な病状で、熱が出たのは2日くらいで、後は喉から気管にかけての痰が詰まったような感じだけがありました。
1ヶ月半くらい前から声枯れがして、これはおかしいと5月末にホームドクターにアポイントが取れたので耳鼻咽喉科の専門医の紹介を受けました。保険会社からオーケーが出て6月中旬にファイバー・スコープで見てもらったら声帯のすぐ後ろに1CM ほどのTUMORがあるといわれました。「悪性の可能性は低いし、まだ小さいので採りましょう」と言われ、手術の日程を待っていました。
 
ホーム・ドクターに予約を取るのに1週間、健康保険会社の了解が出るのに1週間、それから専門医の予約を取ろうとおもったら、長い所は1ヵ月半先の予約しかないといわれ、やっとガーデナーに1週間後に見てくれる専門医を見つけてもらいました。
そのドクターからなかなか連絡がなく、すこしいらいらしていましたが、先週火曜にアメリカにはそういう習慣はないようですが、菓子折りと商品券を持ってお願いにいったら、そんな必要はないのにといいながらも、その場でドクターが自分で関係各所に電話をいれてくれて、3日後の金曜25日の朝に手術と決めてくれました。
 
内視鏡を使っての手術は朝7時半から20分ほどで終わり、(全身麻酔だったので実際どのくらい時間がかかったか分かりませんが手術前にそのように聞いていました)9時の麻酔から覚めると9時半にはもう帰宅することが出来しました。痛みもなく、その日から「刺激物以外は何でも食べたい物を食べていい] といわれました。声帯の手術はその後、1週間は声を出してはいけないそうで、日本ではそのために1週間くらい入院させられるそうですが、こちらでは2時間で歩いて退院。身体は平気なのに声を出せない、これが一番つらいところです。
 
日本の方のために少し説明すれば、健康保険の種類にもよりますが、一番一般的なアメリカの医療システムは以下のようになっています。まずは日常的にコンタクト・担当してくれるホーム・ドクターを各自が選びます。私の場合であれば日本語は話しませんが、日系人の常石先生がホーム・ドクターです。ホームドクターは一般内科医で、すべての医療計画の窓口となってくれます。ホーム・ドクターの他にスペシャリストとよばれる各種専門医がいます。たとえば日本では医学部を出て国家試験に受かれば、細かい診療科目としては何でもその医者の好きな科目を看板に掲げて良く、医者によりかなり専門的なレベルにばらつきがあると聞きましたが、アメリカにおける専門医はその科目を中心に臨床研修を受けてきた、それだけをやる専門医です。これらスペシャリストは自分の範疇をしっかりと持っており、それ以外の治療行為にたいしてはそれは私の専門ではないといはっきりと言ってくれ、他のドクターに行くように言われます。
 
今回私が常石先生から送られた専門医はドクター・ワシントンと言う、そのまま直訳しれば、「耳・鼻・喉・頭部と首の外科」です。そのドクターがトーレンス・メモリアル・メディカル・センターの施設とスタッフを使っての手術でした。
最近の医療費の高騰により保険によってはPPOといってほぼ何処の医者、病院から選んでもいい保険と、HMOという選べる医者、病院が制限される保険とがあります。私のはHMOですがそれでも一ヶ月に一人350ドルくらい保険料を払っているはずです。その代わり今回においても保険料(本人100%、配偶者50%は会社が払ってくれてます)以外はほとんど自己負担はなしです。保険料が安ければ自己負担が高くなってきます。正確な数字は持っていませんが、国民健康保険制度のないアメリカでは40%くらいの人がなんの健康保険も持っていないと聞いています。命を救うも金次第ということですが、こちらに住む日本人でもいざとなったら日本に帰ってすぐに国民健康保険に加入できるからという人もいます。
 
ともかく私は来週一杯声を出してはいけないそうで、筆談でとうしていますが、まだなれないので3回くらい思わず声を出してしまったことがありました。幸い声は出ていました。
来週の水曜から会社にいくつもりです。お客さん、会社の者にはすでに説明してありますので、私の仕事はイーメールとファックスでたいがい出来るはずです。
 
喉頭がんの患者の90%以上は喫煙者だそうで、私の場合25年前にタバコを止め、今回すでに腫瘍が小さいうちにとれましたから、その意味あまり心配ないのかとおもいますが、来週のラボ・テストの結果待ちです。今はほとんど痛みもなく、身体も動かせますし、幸い目が見えない耳が聞こえないと言うのではないので、リラックスしてテレビを見たり、CDを聞いたり、本を読んだりと普段なかなか出来ないことをしています。
 
6/19/04
ドジャース対ニューヨーク・ヤンキースの試合を見てきた。
この両チームはそれぞれ違うリーグに属しているので本来互いに対決することはない。しかしアメリカにはインター・ゲームという、このように違うリーグのチーム同士が対戦する機会がある。ドジャース対ニューヨーク・ヤンキースの対決は22年ぶりだという。フアンを喜ばすことを第一に考えるアメリカの球界ならではの企画である。それもオープン戦のようなものでなく、この試合の結果はそのまま公式記録に含まれて今期の成績の一環を担うのである。野球の人気が落ちている日本でもこのくらいのことをやるべきだと思う。
 
この試合では野茂が投げることが発表されていたので我々日本人には野茂 対 松井秀樹という夢の対決が見られるゲームであった。このところ調子を落としている野茂を心情的には応援したいところであるが、一回の表、2アウトという場面で松井に打順が廻り、松井の3ラン・ホームランでこの回4点を入れたヤンキースをドジャースが追う形でゲームは進む。
1回の裏に1点をかえし、その後野茂もだんだんと調子をあげ、5回のドジャースの攻撃では投手である野茂がソロ・ホームランを打つという思いがけないおまけがあり楽しませてくれた。私が実際生で野茂がホームランを打ったのを見たのは2回目である。
結果は6対2でヤンキースの勝利に終わったが、普段ない有名チームの組み合わせに9回の試合終了までほとんど席を起つ観客はいなかった。
今日のヒーローは松井、そして投手として復活の兆しをみせ、ホームランのおまけを付けてくれたの野茂に暖かい拍手を送りたい。
なんといっても今日のメジャーリーグで活躍する日本人野球選手の先駆けとして10年前にメジャーリーグに一人挑戦し日本野球の質の高さを示してくれたのは野茂選手なのである。
 
年齢的にも限界説がささやかれる今、がんばれ野茂!と声援を送りたい。


4/17/04
イラクでの人質が全員開放された。最初の3人、郡山、高遠、今井の3氏に続き、思ったより早く、消息をたって3日目の安田、渡辺の両氏も今朝釈放されたとのニュースを起きてすぐのインターネット・ニュースで確認することが出来た。本人よりも家族の方の喜びと安堵の方が大きいのではないかと思う。本人たちは自分の置かれた状況をある程度把握していたつもりであろうが、日本でこれほどの話題になっていたとは知らなかったはずである。
自己責任と世間は言うが、もし殺されていたら自己責任であったと言われ、助かったから自己責任を取れと言われる。どんな状況であっても国家には日本のパスポートを持って渡航した国民を出来るだけ守る義務がある。また国民に知る権利があるとすればジャーナリストには混乱のイラクからその状況を伝える責任がある。もう少し情報収集をして、慎重に動くべきであったとは思うが、一概に自己責任と唱えつ続ける作られた世論と無責任な中傷をする一部の人たちの行為はどうかと思うのである。

今から30年位前、私は中近東のイスラム国家を陸路通過したが、その時の親日的な対応を忘れない。イランに入るとき、入国手続きの長い列が出来ていた。我々5人ほどの一団が日本人と分かったとき、一人の入国審査員が言った「そこの日本人全員来なさい」
そして前に並んでいた多くの欧米人を無視して日本人だけを最優先で入国手続きをしてくれたのであった。
ちょっとこそばゆいような待遇であったが、今思えばそこには先人のたゆまぬイスラム国家への貢献があったのだと思う。高遠さんの様な、人が行かない所で人が行かない時に人道的仕事をする人もそんな形で評価される時が来ると思う。

7/6/03
東に1時間ほど走り、さらに30分ほど南にあるテメキュラという町に一泊で行ってきた。ここは最近カリフォルニアではインデアン居住区中でのみ許されているカジノの建設で名を広めつつあるが、もともとは南カリフォルニアにある有名なワインの生産地である。
カジノで少し遊び、ワイナリーのはしごをして来た。それぞれのワイナリーでは約5ドルほどで5種類ほどのワインを試飲させてくれ、お土産にロゴ入りのグラスをくれる。それぞれの量は少ないが、いろんなワインを飲み比べ、気に入ったらボトルで買って帰れる。
なかなか優雅な週末であった。

6/15/03
今日は日曜日、ひさしぶりに家内と映画に行ってきました。

昼寝に蕎麦をたべて、映画館にいってマトリックスを観ましたが、話題になっている割に私は現実味のない画面の連続に感情導入が出来ず一人白けていました。
なんで最近のヒット作と言われる映画は現実味のないコンピューター・グラフィックの画面が多くなるのでしょう。「そんなのあり?」「それはありえない」と言う画面を見せられても感動がありません。ロード・オブ・ザ・リングにしても現実的でない画面をみせられると、これは映画でなく漫画の世界だと思ってしまうのです。
 
その昔、ブルス・リーの映画をて感動できたのは特撮でなく生身の人間がやるアクションに納得できたからでしょう。(早廻しの技法はありましたが、人間の不可能な動作はなかった)このマトリックスのアクションシーンは人間の動きでなく、コンピューター・ゲームの動きですね。実際コンピューターの中の世界という設定ですが、その設定そのものが私には付いていけません。歳なのかな?
 
画面の目新しさだけの、この手の作品が何故ヒットするのか分かりません。
コンピューター・グラフィックの画面の制作には莫大な制作費がかかり、それを回収するため高額な宣伝費をかけ観客を動員する。それに影響を受け観にいくのは観客の責任ですが、正直私はこの種の映画は好きではありません。もっと現実的で感動出来る作品にヒットしてもらいたいと思いました。
 
ロード・オブ・ザ・リングに続いて、家内が行きたいというので付き合っただけ。私的には失敗作でした。
 
映画の後、海辺をドライブして生ビールを軽く飲んで帰ってきました。
 
帰国報告     8・16・02
7月末から約2週間日本に里帰り、あっという間の日本での楽しかった思いを胸に12日こちらの自宅に戻って来ました。覚悟していたとは言い、日本の夏は思った以上に暑い夏でした。 暑い日本から帰って、いきなり朝方の寒さに目が覚めてしまいました。朝方の温度は18度くらいでしょうか。

短い間ではありましたが懐かしい旧友、同級生、恩師にお会い出来とても楽しい帰国でした。
久しぶりに家族全員そろった新潟の実家では幻の酒といわれる貴重な「雪中梅」が4本も集まりました。その他、地元ならではの豪華な品揃え「八海山」「越乃寒梅」「久保田」等々がプレミアなしで東京のデパートの3分の一から5分の一の値段で手に入れることが出来、酒好きの私にはたまりませんでした。

それと今回は兄が比較的近くの秘湯に何箇所か車で連れてってくれました。
秋山郷の一番奥地、切明温泉。ここは温泉が川原に沸いていて自分で温泉を掘って河の水で温度調整をして入るという、日本でも珍しい温泉です。私達は時間がなく普通の露天風呂に入っただけでしたが何時かスコップを持って訪れ、ゆっくりと自分の掘った温泉に入ってみたいものだと思いました。秋山郷は60年ほど前、教員であった
私の父が初めて赴任した地の近くで、父はこの周辺は殆ど隈なく歩いたことがあるそうです。
その頃、何時間も獣道のような道を歩いて発電所の管理をしている教え子のお父さんを訪ね切明に行ったことがあったそうです。「ちょっと待っていてくれ」といわれ、手掴みで岩魚を捕って来てもてなしてくれたそうです。
いまは車ではいれるようになり、家族つれが何組も川原で温泉と水浴を楽しんでいま
した。

ヒスイの里、姫川からはいっていく雨飾温泉、これも人里はなれた大変な山奥にありました。地元の人に聞いても一人は「車ではいけないでしょう、その格好で行くのかい?」とサンダル履きの私達は訝られなしたが、もう一人の人が「今は車でいけるはずだ」と教えてくれました。曲がりくねった狭い山道を上がり切った所にやっと山荘
を見つけました。そこはもみじの木に囲まれ、その葉漏れの光の中で入る。、それは風流な美しい貸切状態の露天風呂でした。

そして故郷を離れる前日、北アルプス白馬への登り口にある蓮華温泉に行きました。白馬への登山客しかいかなそうな山奥ですが、結構登山客が大勢訪れていました。でも温泉にだけ浸かりに来たという風情の人は我々だけでした。山荘から500メートルほど登った所に3ケ所、登山路のすぐ横に温泉が湧いていて、最初の2ケ所はそれ
は壮大な眺めの温泉でした。

父は今年83歳、元々山歩きの好きな父は杖を突きながらゆっくりとではありますがすべての山歩きに付き合ってくれました。標高2000メートルくらいある頚城平野を見下ろす菱ヶ岳は昔からみていましたが、今回初めて両親と登頂して来ました。スキー場のゴンドラの終着点から約400メートルの高度を一般客の倍の時間をかけて
1時間半、けっこう急な道を登り、途中できのこ等を採り、草花を楽しみながら登りきりました。山頂で食べたおにぎりはとても美味しいでした。

故郷は自然も人も優しく、暖かく、私を迎えてくれました。東京での最後の夜は27年前、ロスのリトル東京等で出会ってその後帰国している昔の仲間が4人、遠くは四国香川からも集まってくれました。懐かしい話に盛り上がり、今の状況を報告し合う、昔、旅人として出合ったこの仲間達は、今でも日本の現実での生活を受け入れながらも精神的には皆旅を続けているんだなと、思いました。旅は男のロマンであり何時までも続くものです。しかしそれは故郷という懐かしい場所があるから続くものだと思っています。いつの頃からか「日本に帰る」、「アメリカに帰る」という一見矛盾する言葉を、何の偏見もなく同じように使っている自分がいます。育ててくれた所と、住む所、日本にいても、たとえば東京に住んでいれば同じ使い方をしていると思います。故郷は何年経っても時間と空間を超越した帰る所であり続けるのです。

いま手元に、もって帰った雪中梅が一本あります。これを何時開けようかと今から楽しみにしています。その時は思いっきり、故郷の盃とつまみを揃えて飲んでみたいと思っています。

7/5/02
昨日はアメリカの独立記念日。
各地で花火大会が催されます。私は例年、独立記念日の夜はすぐ裏のウィルソン・パークでトーレンス市が主催する花火大会を見にいくことがほとんですが、昨日は近くの知人にバーベキュー・パーテーに招待され、ワインを片手にお邪魔させて頂きました。その途中でも方々の家で人が集まり独立記念日のパーテーが開かれていまし
た。

昨日のバーベキューパーテーの参加者は私より年上の先輩方がおおかったのですが、酔うほどに楽しく過ごさせていただきました。
8時ごろ、ここの娘さんの友人が来て昼頃にロサンゼルス空港で起きた銃乱射事件の体験談を話してくれました。
彼女は午前11時半ごろ日本に帰る祖父を空港に見送りにいったそうです。やがて花火かと思うような銃声を聞き、そのままスタンバイをするようにと言う御触れがあり、そのまま約7時間足止めを食らったそうです。おじいさんは6時間遅れで日本に向け出発できましたが、成田に着くのは真夜中、何人もの人が予定を変えなければならないことになったそうです。
今回の事件は一連のテロ事件とはかかわりないだろうと言われていますが、場所がイスラエルの航空会社のカウンターで犯人はエジプト人となればやはり中東での政治、宗教的対立がバックにあると勘ぐってしまうのは私だけではないでしょう。

誰でも簡単に銃が手に入ったらこの種の事件は減ることはありません。アメリカではクリントン大統領がかなり銃規制を熱心に推し進めていましたが、ブッシュ大統領になってから、その思想は大幅に抑えられ、ついに国民が銃を持つのは憲法で保障された基本的権利だと認められてしまいました。ブッシュ大統領はテキサス州の出身でアメリカ・ライフル協会や石油業界などから支持を受け大統領に当選しました。こういった彼のバックグラウンドを考えれば彼の進
めようとしている政策が判るというくらい、テキサス男の軽い考えで動いているように思えます。環境問題に熱心でないのは石油業界の利益に反するからです。かっての彼の大学での恩師が「けしって優秀ではなかった彼が大統領になれたのは驚きだ」と皮肉たっぷりに言った記事を読んだことがあります。基本的には銃が好きで好戦的な
ダメ大統領だと私は思っています。次はフセイン政権転覆のためのイラクへの侵攻計画をねっています。おそらく今年の暮か来年の初めには、イラクへの進撃を開始することでしょう。
そんなことを考えながら今年は少し暗い気持ちで遠くに上がる花火をみていました。

4/20/02
近くの日系マーケットで日本駅弁フェアとかで各地の駅弁を売っており、何種類か買ってきて食べている。それに過日買っておいた新潟の酒「菊水」これを冷やして高校の同級である地元高田の陶芸家 "斎藤尚明君" の作った酒盃で飲む。極幸福の時である。

2月10日2002年
オリンピック・モーグル競技
昨夜はソルトレークで開かれているモーグルの女子決勝を夜遅くまで何度も見ていました。この競技はコースを滑った時間と、ターンの美しさ、途中で2回あるエアとよばれるジャンプをそれぞれ得点に換算して順位を争うものです。もともとパンブとよばれるゲレンデの凸凹はスキーで雪面が削られることによりゲレンデが荒れ、自然に出来てくるものです。競技に使われる斜面の凸凹は人工的に造られた物ですがテレビで見ると中級の斜面くらいに見えますが、実際の斜面は遥かに急斜面で、凸凹も大きく、一般の人には降りることも出来ない斜面です。

そこを滑り降りる選手の足は車のショックアブゾーバーのように凸凹のショックを足で吸収して華麗に滑っているように見えますが、車のアブゾーバーはもともと衝撃を受けた後高い位置に戻るようにスプリングが硬く作られていますが、人間の膝はつぶされたらそのまま低い位置に固定されてしまうもので自然に高い位置に戻るものでは
ありません。つまりショックを吸収して伸縮しているように見える膝の動きは競技者の側からいえば、ショックでつぶされた足を伸ばす運動なのです。足を伸ばすことにより次のこぶでのショックを膝で受ける用意をして、こぶで飛ばされないように膝でショックを受けます。膝が曲がりきっていては車で言えばショックを受けるためのス
プリングがない状態となりこぶで飛ばされてしまいます。こぶを越えたらすぐに次のこぶに備えて足を伸ばしてターンを終了させる。50キロからのスピードでこの落差のバンプでの衝撃を多いときは一秒間に2回くらい膝で潰されないように受けるのはとんでもなく膝に負担のかかる大変な競技です。滑り終えた選手の息遣いを聞けばその運動量のすごさも想像していただけることと思います。

私のやっているモーグルはもちろん競技でなくリクレーションモーグルですから、いかにスピードを殺して無難にバンプを乗りこなすかという滑りです。それでもハードな運動であり、難しく奥の深いスポーツです。それだけに巧く滑れた時の満足感も高いのです。

男子のモーグル決勝は2月12日火曜日です。ご覧下さい。

12月9日2001年
流れ星                 
12月7日、10数年にわたり仕事上、私の部下として仕えてくれたカノコさんが亡くなった。乳がんによる3ヵ月半の病棟生活の末の最後であった。
知らせを受けた時、私はスキー行きの予定を抱えていた。一瞬、スキーに行っている時ではないかも、と思ったが、もしカノコさんが元気なら絶対に"いいですよ、行って来て下さい"と言われるのが分るだけに、そのまま行くことにした。
満天の星空の下、車を走らせていると目の前に大きな流れ星が現れた。
ビショップで佐野さんに運転を代わってもらい、車の窓を一杯に開け、一合壜の冷酒を手に星空に向かって叫ぶ、「カノコさん、安らかに!」

車のラジオからはクリソマス・ソングが流れている。
SILENT NIGHT,HOLY NIGHT…………..
また流れ星が流れた。

日曜日、朝から風もなく、深深と雪が降っている。
やがて、雲に覆われた薄暗い空に薄日が差し、一面が神秘的な光に包まれる。
5番リフト、林の中を新雪を舞い上がらせて縫うように滑る、カノコさんがくれたのか、最高のコンデションで気持ちよく滑れた一本。それは流れ星のように一瞬の事のように思えた。

10/6/01
ちょっと秋らしい気候が続いています。マンモスのオープニングまで丁度1ヶ月となりました。今日は、土曜日、先週末に買ったスキー靴にスキーのバインディングを調整してもらっていたのを今日ピックアップして来ました。スキーのチューン・アップも終わり準備は万端です。

このままだとアメリカは来週の11日ごろにアフガンへの報復空爆を始めるだろうと言われ、そうすると100%の確率で国内外でアメリカに対するテロが行なわれると報道されています。どんな形でテロが起こるのか大きな関心事ですが、日常生活に影響なく、スキーを楽しめたらと思っています。

今から27年ほど前、私はアフガンを旅行したことがありました。カブール、カンダハル、パキスタンとの国境のカイバル峠、ペシャワール、イスラマバード等々今のニュースを賑わせる地域を主に乗合バスで移動したものでした。その当時アフガンは王政が倒され軍事政権がしかれたばかりの時で、治安もわるく、メインの道路から外れると山賊が出ると、聞かされました。実際私の1ヶ月後くらいにアフガン北部に行った学生が行方不明となり、両親が一生懸命さがしているのを帰国後知りました。

カブールそのものは市場には物があふれ、活気がありましたが、道端で蛮刀が売られ、近くには銃の密造で有名な村があるとその頃から聞きました。カブールの街中の道路はほとんど舗装されていない砂埃があがり、馬車が行き交い明治時代を思わせるような道路で、それでも平和な街でした。
人々は素朴で農家のおじさんといった感じの兵士が王宮の前で火縄銃かと思うような旧式の銃で警備にあたっており、そのあまりの田舎くさい風情に我々は「その銃をこのカメラと替えてくれないか?」とジェスチャーでもちかけて、からかってみました。「これは俺のものでないから、だめだ」とあせって銃を後ろに隠すのでした。しかし写真は撮らせてくれましたし、その後ソ連に侵攻されやがてタリバンが台頭するまでのアフガンにはそれでも自由があったと思います。

そのころ悪の印象のあったソ連でもそうでしたが、街に出れは飲み物をご馳走してくれたり、何処の国でも、そこに住む一人一人は皆、優しい人達でした。
宗教も政治的意味合いを深めると一種の洗脳かと思います。アフガンでの今日のイスラム原理主義のあり方の様に1歩間違えると政治以上に市民を苦しめます、そしてその不幸に住民達は気がつかないほど洗脳され人権侵害の国となってしまいました。

一日も早く、アフガンに平和が訪れる事を祈ります。

9/11/01
ニューヨークは今大変なことになっています。今だ犠牲者の人数もわかりませんが、 最終的には1万人くらいになるのではと言われています。 まだ何処からも正式な犯行声明がでていませんが卑劣な不特定多数の一般人を狙った
テロで、人間のやることとは思えません。こちらのニュースで繰り返し「パールハーバー以来の・・・ ・・」といっているのが、日本人の私には抵抗を感じさせられます。
 
ここロスでもダウンタウンのオフィス、政府関係、空港、港、野球場、観光地などが閉鎖になっています。明日にはかなり平常に戻ると思いますが、これからは何処に出かける にもこのような危険性があることを肝に銘じて行動しなければいけない社会になるの でしょうか。
 
それにしても、こちらの消防士、警察官のこのような状況下での冷静で勇気ある行動 には何時も感動させられます。爆発の際に、一般人の人に覆い被さるように守ってく れたとか、避難する人々と入れ替わりに爆破されたビルに救助にむかった400人からの消防士、警察官が戻っていないなどと聞くと心が痛みます。怪我をしながらなんとか無事にもどった人達は「これが私の仕事ですから」とクールに応えるのでした。自分の危険も顧みず、人の命を救うという使命を遂行するため訓練されたこの人達の行動は美しく、尊い思いがします。一方、罪のない人を平気で殺すテロリスト、世の中にはさまざまな人間の顔をしたお面が出回っているとしか思えません。人間の本質は優しさであってほしい。

罪のない犠牲者と、その人達を救おうとして命を落とした勇敢な男達に、合掌。

7月7日、8日、2001年
スキー・シーズン以外でマンモスに行く事はほとんどない私が山歩きのためマンモスに行ってきた。
頼さん、佐野さんの案内でヨセミテ国立公園に隣接するサドルバック・レークの奥にある箱庭の様に美しい湖群のある一帯を8マイル、4時間少し歩き廻り、自然を満悦する。あまり急な登りのない、マンモスで最もお勧めの日帰りコースだというが適当に谷あり、丘ありで変化に富んだコースである。登山ではなく、ハイキングだと山男たちは言うが、日ごろあまり歩く事のない生活を送っている私には、こんなコースでも時間が経つにつれ疲労が足に出てくる。

小雨の中、最初は廻りの風景を見ながら歩いていたが、後半は余裕のない足取りで足元を見ながら歩き続けた。時たま足を止め周りの風景を眺めれば、美しい自然の中にちっぽけな自分がいる。こんなに自然の中を歩いたのは久しぶりである。自然には人を癒す力があるって本当だと思った。雨に濡れた緑が美しい、後には心地良い疲れと自分を取り囲む大きなパノラマの残像が残った。


7/1/01
イチロー!!!
6月最後の30日、この間まで「今年はどんな年になるのか?」と期待を込めて言っていたように想いますが、早くも2001年も半分終わってしまいました。この日、地元のエンジェルス対マリナーズの野球の試合を見に行ってきました。夕方7時5分からの試合に合わせ、20分ほど前に着いた駐車場でお弁当で夕食。
球場内に入るとちょうど試合がはじまったところで席に付くかつかないかに一番打者であるお目当てのイチローローの絶妙のバンド等で6点をいれたマリナーズが終始 リードした展開で、9回裏には4点リードのセーブに関係ない場面であったに関わらず佐々木が当番して締めくくり、お目当ての選手はビール片手にすべて観ることができました。この場面で佐々木を出すのは久しぶりのロスアンゲルス地区のフアンへのサービスとも想えるもので、フアンを第一に考える大リーグならではの心遣いでもあったのでしょう。

野球の選手にかかわらず、スポーツ、芸術等の第一人者は押し並べて独特の共通の雰囲気を持っているものです。想ったとおり、はじめて実物をみるイチローもそうでした。只今、ア・リーグの首位打者、一流の風格と余裕を感じさせました。このように日本人がこちらでアメリカ人以上に活躍している姿を見るのは嬉しいものです。
 
今アメリカの大リーグで首位打者として、トップに立ているイチロー、実はアメリカで一流と認められ活躍した日本人は今までにも何人かいました。今や知る人も少なくなっていると想いますが、戦前から戦後にかけ、厳しい人種政策にも関わらず、ハリウッドでその頃、チャップリンと同額のギャラを得ていた俳優の早川雪舟、舞踊家で演出家の後に帰国し東京オリンッピクの演出を手がけ、完成を見ることなく逝った伊藤道朗(みちお)などがそうです。いずれも人種的偏見に満ちたその時代に実力だけで、アメリカ人に日本人を認めさせた人達でした。
そんな先人の事を想いながら日本人であることをちょっぴり誇りに思ったグッド・イーブニングでした。

3/12/01
克巳君の連載「僕の旅」が、とうとう最終回、ご苦労さまでした。楽しく読ませてもらいました。

予想外の、小説のような展開に驚きました。生涯初めての海外への旅立ちは、僕らの仲間すべてが経験している期待と不安、そして実際の興奮と感動のドラマです。
それぞれの個人が自分のドラマを持って今日まで生きて来ているのですが、今回、克巳君の自伝的、過去の旅に触れ、あらためて人生の出会いと出来事の不思議さを感じました。
 
旅は一言でいえば、出会いと別れの連続です。そして克巳君の旅は水公という一人の若者の不幸にも短い人生を、船の上という特種な環境の中で、垣間見てしまった事が、その後の人生観に大きな影響をあたえたのかと思います。
もちろん、その後経験したさまざまな出来事も記憶に残る旅の一部ではありますが、そのすべての出発点、旅立ちがまさにあの「僕の旅」であったのかと思います。
人はそれをBADTRIPと言うかもしれない、しかし君は今日までその旅を、自分なりに消化し続け、清算して来たのです。そしてついに「僕の旅」という内面的な旅から仲間に「あの旅」ともいえる経験として話、披露できるようになった。
今日もまだ旅は続いているのですが、その間、たとえばあの時代、あの場所で僕らと出会った、その意味では、君の旅は僕らの旅でもあったのです。
 
今後もますます、元気で、バイタリティーあふれる君でいて欲しい。
今、みんなでエネルギーをおくる、鳴り止まぬ拍手を送りたいと思います。
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2001年3月3日、
今日は久しぶりにローカルのスキー場マウンテン・ハイに半日のスキーに行って帰って来たところです。
先週はカナダから帰ってそうそう、コンプューターが壊れて修理に出していて、カナダのエッセイが書けず、困りました。カナダから帰った翌々日、アメリカに残っている友達の中で3番目に古い友達となってしまった栄一〔夏の風の後半に登場)のやっているDOMOレコードのミュジシャン
・喜多郎がニュー・エイジ・ミュジック部門でグラミー賞を取ったとの知らせ、おめでとう。
そして22日にはユニバーサル・アンフィシアターにジェフ・ベックのコンサートを見に行ってきました。ジェフ・ベックもすでに私と同じ位の年代かと思いますが今だにびんびんのロックをやっているのを見ると嬉しくなります。彼の音造りはなんか、かっこいいですね。皆さんも聞いて見てください。それに最近は音響設備が良くなったのか、音がシャープで切れが良く、昔のように大音響の中でも耳がジンジンすることがなくなりました。観客もほとんどおじさん、おばさんでしたが、満足して帰路に付くおじさんたちの後姿に、昔、伸ばしていたであろう長い髪の毛を見た気がしたのでした。

1/06/01
新世紀が明けて早くも1週間が過ぎようとしています。皆さん新年はいかがお過ごしでしたか?私はマンモスで滑り納め、滑り始めをして20世紀と21世紀を過ごして来ました。
スキーに関しては、今季はスタートは良かったのですが、ここ1ヶ月ほど、まともな雪は降っていません。アメリカ東部は例年にない寒波に襲われているそうで不謹慎ながら我々スキーヤーは「羨ましい!」、などとテレビの映像を見ると思ってしまうのです。
さて今日、日本では全国的に繰り上げの成人の日のがとり行なわれ、各地で催し物があったようですが、その中に、幾つか興味深いニュースが有りました。いずれも20歳の若者の常識、良識を問うもので、サダヤンの地元香川県では祝辞を読むはずの市長が会場で一升瓶を手に酒盛りを続ける若者に「成人に成る資格無し」として祝辞を読まずに帰ってしまったとか。時代はどんどん日本人としての一般常識を消し去っているように思います。おそらくその場にいた若者の中に、この場で一升瓶を廻し飲みするのは良くないと思える人が、少数人数でしかなかった、ということかなと思います。これは若者にその感覚を伝え切れない前の世代にそもそもの問題があったのかとも思います。日本の伝統芸能が口コミ、伝承で代々変わらず受け継がれて来たように、日本の心を正確に次ぎの世代に伝えたいものです。
日本人としての勤勉さ、努力、チームワークを21世紀も持ち続け、国際競争力の有る社会を維持出来る国民であって欲しいと思います。
新年早々、愚痴ってしまいましたが、今年もE-MAILを使って皆さんと共に時間を共有出来たらと思います。
改めて、新年おめでとうございます。

12/20/2000
私の25年近く知る古い友達の牧良夫くんから彼のプロデュースするギタリスト・ホセ田中とフルート奏者ペドロ・エウスターチェの出演するクリスマス・キャンドルライトコンサートがウェスト・ロスアンジェルスの教会で催されると知らせがあり出かけてきた。今までも何度かホセ田中のギターは聞きかせてもらう機会があったが、何時もその演奏には感心、感動させられるのであるが、今回はさらにペドロ・エウスターチェのフルートの演奏にフルートの概念を覆される思いであった。この二人が織り成す正に一流ミュジシャンの演奏はその場に居合わせた僅か100人足らずの聴衆にはもったいないと思える豪華なものであったが、彼らに言わせれば、10人の聴衆も万人の聴衆も神に捧げる演奏と言う意味で全力を尽くして演奏をする事に変わりはないのだそうである。そしてその言葉通りの素晴らしい演奏で、最後にロウソクの灯りの中、フルートの伴奏で「きよしこの夜」を皆で歌ったことは今年2000年のクリスマスの思い出として残る新鮮な心洗われる出来事であった。

MERRY CHRISTMAS !
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12/8/00
 約2ヶ月半に渡り、このホームページで「夏の風」として連載して来た私の旅行エッセイが終了した。

”夏の風”という題名は、嵐の中というイメージでなく、風のように自由に、目的もなく、それでいて 爽やかに流れた青春の瞬時を表わしたものである。

放っておけば泡の様に消えてなくなる、あの時の話を書き留め、何人かの人に読んで頂けた事は嬉しいし、E-MAIL、ホームページなしでは実現し得ないことであった。
読み返してみて今ちょっと感傷に浸っているところである。登場人物皆さんをはじめ、励ましてくれた皆さんにこの文章を捧げたい。
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10-1-2000
芸術の秋、先週の映画に続き、今日の日曜日はハモサベーチでワインを飲みながらランチを摂ってその後小説家林真理子の講演会に行って来た。もともとコピーライターからエッセイスト、そして小説家と跳躍して来た人であるか
ら、その間の自分のバックラウンドの話しは興味深い物であったが、その原動力は類い稀な想像力、妄想力で身近に見つけた事を空想で広げくっ付け合わせる事だと言う。
そして身近なことを書いたエッセイの゛私”という部分を三人称にすればエッセイが小説に成るのだという。なるほどと思うが、私はエッセイを書きたいとは思うが小説を書きたいとは思わない。

今まで日本では才能のある人、美人の人、人より秀でた者を持った人は最初に欠点を探され、非難されることから始まった評価が、最近は優れた点を素直にほめ、認める風潮が出てきて、確実に変わって来ているという。こうして日本の文化も時代と共に変わりつつあると言う事か。

たまにこんな文化人と呼ばれる人の話しを聞くのも良いものである。
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8/14/2000
「ブナの林の風、光る」
丁度12時間ほど前に無事にロス空港に着陸してアメリカに戻りました。
久々の帰国の印象を一言で言えば気候も感情も暑かった。でも、故郷の人と自然は訪れたブナ林の木陰か
らもれる淡い緑の光のように涼しく、心地よく私を包んで迎えてくれました。

懐かしい人々にも会えました。雨の中、露天の温泉に浸かりました。美味い海の幸、山の幸、そして
もちろん新潟の酒も心行くまで味わいました。
昨年9月早期胃がんの手術をした父は、思った以上に健康を取り戻しており、母とともに
温泉に、山歩きに、晩酌にと付き合ってくれました。

東京は随分国際都市になって外国人が多くなったなと思った人はほとんど、前から見たら日本人の変装外人でした。ごみを平気で道路に捨てる人、人の迷惑を考えず、夜遅くまで観光地でさわぐ若者、自分勝手な生き方をする非社会的な人間が増えている様に感じまししたが、その一方、地味に素直に生活する若者もいました。

 駅に送ってくれた父が駅前に堂々と置かれていた1つの空き缶を、人知れずあるべき所であるゴミ箱に戻している姿をみました。こういう感覚を日本人はいつの世代から忘れてしまったのでしょうか?そういう私も捨てはしないが拾えない世代でした。ごみを道路に捨てる人、それをおかしいと思ってもなにもしない人、静かに拾って片付ける人、そんな人々が入り混じって暮らしていることに今日の日本の世相を観たように思いました。
とても充実した思い出を胸にアメリカに戻りました。皆さんありがとう、また再会する日まで御元気で、私も頑張ります。
 
 
写真説明 1)松の山の有名なブナ林”美人林”にて
       2)伝説の滝壷、七つ釜にて両親と
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7/5/2000
昨日は独立記念日、朝から裏の公園がバーべキューやらをする人等でやかましい。休みの日は外食が多いが、昨日はほとんどのお店が休みのため、昼も夜も中華レストランに行って食べた。彼らはアメリカンドリームを実現しようとほとんど年間365日働く、失敗したら後がないという気構えでやっているのか、良く働く。開いているレストランがない時は中華レストランである、ほとんど例外なく開いている。空いていたので若いウエイトレスが甲斐甲斐しくテーブルに来て御茶を注いでくれる。ついついチップを弾んでしますう。

夜行ったレストランは香港系のレストラン、昼と一転して愛想が悪い。「香港系のレストランではサービスは期待するな、純粋に食べるために行け」とレストランガイドで読んだことがある。オーダーを間違えたりサービスは悪い, ついに一度も”すみません”だの" THANK YOU" とかという言葉は聞かなかった。無愛想が売り物か?
ただ量だけは多かった。
夜は9時から裏の公園で市が主催して花火が上げられる。例年のことであるが歩いてすぐ行けるので8時半ごろ出かける。打ち上げられた花火がまん丸でなくゆがんでいるのが多いのは愛嬌であるが、アメリカではこの一日で各地で夕暮れとともに大変な数の花火が打ち上げられ煙と消える。実際はそのほとんどが中国製である。
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6/26/2000
会社で先週1週間バァケーションであったレオナルドに呼びとめられる。なんでもサンディエゴから8日間の釣り船に乗りメキシコ沖合いで釣りをして、昨日帰って来たと言う。ついては私に大きなお土産があるという。彼がピックアッツから取り出したのは大きなアイスボックス、その中には3つに切った1頭のマグロ。
さっそく家に電話をいれ冷凍庫の整理をしておくよう家内にたのむ。さてさて家に帰ってマグロの解体作業、マンモスで何度かやっているし原則小さな魚も大きな魚も捌く手順は一緒である。とはいえ、小さな まな板で普通の包丁を使ってやる作業は大変である。約1時間でマグロはすべて約10cm角に切られ、それぞれサランナップに詰まれた。保存する部分、知り合いに御裾分けする部分、そして中落ちを集めて我が家の猫の餌になる部分、等に分けられる。夕飯は刺身、焼き魚でビール。頭が良くなると言われるDHAを多く含むマグロの眼の部分を焼いて食べる。かなり油が乗っていて中々いける味である。しかし5時間経った今も頭が良くなったという効果のほどはなし。
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