帰国報告 8・16・02
7月末から約2週間日本に里帰り、あっという間の日本での楽しかった思いを胸に1
2日こちらの自宅に戻って来ました。覚悟していたとは言い、日本の夏は思った以上
に暑い夏でした。 暑い日本から帰って、いきなり朝方の寒さに目が覚めてしまいま
した。朝方の温度は18度くらいでしょうか。
短い間ではありましたが懐かしい旧友、同級生、恩師にお会い出来とても楽しい帰国
でした。
久しぶりに家族全員そろった新潟の実家では幻の酒といわれる貴重な「雪中梅」が4
本も集まりました。その他、地元ならではの豪華な品揃え「八海山」「越乃寒梅」
「久保田」等々がプレミアなしで東京のデパートの3分の一から5分の一の値段で手
に入れることが出来、酒好きの私にはたまりませんでした。
それと今回は兄が比較的近くの秘湯に何箇所か車で連れてってくれました。
秋山郷の一番奥地、切明温泉。ここは温泉が川原に沸いていて自分で温泉を掘って河
の水で温度調整をして入るという、日本でも珍しい温泉です。私達は時間がなく普通
の露天風呂に入っただけでしたが何時かスコップを持って訪れ、ゆっくりと自分の
掘った温泉に入ってみたいものだと思いました。秋山郷は60年ほど前、教員であった
私の父が初めて赴任した地の近くで、父はこの周辺は殆ど隈なく歩いたことがあるそうです。
その頃、何時間も獣道のような道を歩いて発電所の管理をしている教え子のお父さん
を訪ね切明に行ったことがあったそうです。
「ちょっと待っていてくれ」といわれ、手掴みで岩魚を捕って来てもてなしてくれた
そうです。
いまは車ではいれるようになり、家族つれが何組も川原で温泉と水浴を楽しんでいま
した。
ヒスイの里、姫川からはいっていく雨飾温泉、これも人里はなれた大変な山奥にあり
ました。地元の人に聞いても一人は「車ではいけないでしょう、その格好で行くのか
い?」とサンダル履きの私達は訝られなしたが、もう一人の人が「今は車でいけるは
ずだ」と教えてくれました。曲がりくねった狭い山道を上がり切った所にやっと山荘
を見つけました。そこはもみじの木に囲まれ、その葉漏れの光の中で入る。、それは
風流な美しい貸切状態の露天風呂でした。
そして故郷を離れる前日、北アルプス白馬への登り口にある蓮華温泉に行きました。
白馬への登山客しかいかなそうな山奥ですが、結構登山客が大勢訪れていました。で
も温泉にだけ浸かりに来たという風情の人は我々だけでした。山荘から500メート
ルほど登った所に3ケ所、登山路のすぐ横に温泉が湧いていて、最初の2ケ所はそれ
は壮大な眺めの温泉でした。
父は今年83歳、元々山歩きの好きな父は杖を突きながらゆっくりとではありますが
すべての山歩きに付き合ってくれました。標高2000メートルくらいある頚城平野
を見下ろす菱ヶ岳は昔からみていましたが、今回初めて両親と登頂して来ました。ス
キー場のゴンドラの終着点から約400メートルの高度を一般客の倍の時間をかけて
1時間半、けっこう急な道を登り、途中できのこ等を採り、草花を楽しみながら登りきりました。山頂で食べたおにぎりはとても美味しいでした。
故郷は自然も人も優しく、暖かく、私を迎えてくれました。東京での最後の夜は2
7年前、ロスのリトル東京等で出会ってその後帰国している昔の仲間が4人、遠くは
四国香川からも集まってくれました。懐かしい話に盛り上がり、今の状況を報告し合
う、昔、旅人として出合ったこの仲間達は今でも日本の現実での生活を受け入れなが
らも精神的には皆旅を続けているんだなと、思いました。旅は男のロマンであり何時
までも続くものです。しかしそれは故郷という懐かしい場所があるから続くものだと
思っています。いつの頃からか「日本に帰る」、「アメリカに帰る」という一見矛盾
する言葉を何の偏見もなく同じように使っている自分がいます。育ててくれた所と、
住む所、日本にいても、たとえば東京に住んでいれば同じ使い方をしていると思いま
す。故郷は何年経っても時間と空間を超越した帰る所であり続けるのです。
いま手元に、もって帰った雪中梅が一本あります。これを何時開けようかと今から楽
しみにしています。その時は思いっきり、故郷の盃とつまみを揃えて飲んでみたいと
思っています。
7/5/02
昨日はアメリカの独立記念日。
各地で花火大会が催されます。私は例年、独立記念日の夜はすぐ裏のウィルソン・
パークでトーレンス市が主催する花火大会を見にいくことがほとんですが、昨日は近
くの知人にバーベキュー・パーテーに招待され、ワインを片手にお邪魔させて頂きま
した。その途中でも方々の家で人が集まり独立記念日のパーテーが開かれていまし
た。
昨日のバーベキューパーテーの参加者は私より年上の先輩方がおおかったのですが、
酔うほどに楽しく過ごさせていただきました。
8時ごろ、ここの娘さんの友人が来て昼頃にロサンゼルス空港で起きた銃乱射事件の
体験談を話してくれました。
彼女は午前11時半ごろ日本に帰る祖父を空港に見送りにいったそうです。
やがて花火かと思うような銃声を聞き、そのままスタンバイをするようにと言う御触
れがあり、そのまま約7時間足止めを食らったそうです。おじいさんは6時間遅れで
日本に向け出発できましたが、成田に着くのは真夜中、何人もの人が予定を変えなけ
ればならないことになったそうです。
今回の事件は一連のテロ事件とはかかわりないだろうと言われていますが、場所がイ
スラエルの航空会社のカウンターで犯人はエジプト人となればやはり中東での政治、
宗教的対立がバックにあると勘ぐってしまうのは私だけではないでしょう。
誰でも簡単に銃が手に入ったらこの種の事件は減ることはありません。アメリカでは
クリントン大統領がかなり銃規制を熱心に推し進めていましたが、ブッシュ大統領に
なってから、その思想は大幅に抑えられ、ついに国民が銃を持つのは憲法で保障され
た基本的権利だと認められてしまいました。
ブッシュ大統領はテキサス州の出身でアメリカ・ライフル協会や石油業界などから支
持を受け大統領に当選しました。こういった彼のバックグラウンドを考えれば彼の進
めようとしている政策が判るというくらい、テキサス男の軽い考えで動いているよう
に思えます。環境問題に熱心でないのは石油業界の利益に反するからです。かっての
彼の大学での恩師が「けしって優秀ではなかった彼が大統領になれたのは驚きだ」と
皮肉たっぷりに言った記事を読んだことがあります。基本的には銃が好きで好戦的な
ダメ大統領だと私は思っています。次はフセイン政権転覆のためのイラクへの侵攻計
画をねっています。おそらく今年の暮か来年の初めには、イラクへの進撃を開始する
ことでしょう。
そんなことを考えながら今年は少し暗い気持ちで遠くに上がる花火をみていました。
4/20/02
近くの日系マーケットで日本駅弁フェアとかで各地の駅弁を売っており、何種類か買
ってきて食べている。それに過日買っておいた新潟の酒「菊水」これを冷やして高校
の同級である地元高田の陶芸家 "斎藤尚明君"
の作った酒盃で飲む。極幸福の時であ
る。
オリンピック・モーグル競技 2/10/02
昨夜はソルトレークで開かれているモーグルの女子決勝を夜遅くまで何度も見ていま
した。この競技はコースを滑った時間と、ターンの美しさ、途中で2回あるエアとよ
ばれるジャンプをそれぞれ得点に換算して順位を争うものです。もともとパンブとよ
ばれるゲレンデの凸凹はスキーで雪面が削られることによりゲレンデが荒れ、自然に
出来てくるものです。
競技に使われる斜面の凸凹は人工的に造られた物ですがテレビで見ると中級の斜面く
らいに見えますが、実際の斜面は遥かに急斜面で、凸凹も大きく、一般の人には降り
ることも出来ない斜面です。
そこを滑り降りる選手の足は車のショックアブゾーバーのように凸凹のショックを足
で吸収して華麗に滑っているように見えますが、車のアブゾーバーはもともと衝撃を
受けた後高い位置に戻るようにスプリングが硬く作られていますが、人間の膝はつぶ
されたらそのまま低い位置に固定されてしまうもので自然に高い位置に戻るものでは
ありません。つまりショックを吸収して伸縮しているように見える膝の動きは競技者
の側からいえば、ショックでつぶされた足を伸ばす運動なのです。足を伸ばすことに
より次のこぶでのショックを膝で受ける用意をして、こぶで飛ばされないように膝で
ショックを受けます。膝が曲がりきっていては車で言えばショックを受けるためのス
プリングがない状態となりこぶで飛ばされてしまいます。こぶを越えたらすぐに次の
こぶに備えて足を伸ばしてターンを終了させる。50キロからのスピードでこの落差
のバンプでの衝撃を多いときは一秒間に2回くらい膝で潰されないように受けるのは
とんでもなく膝に負担のかかる大変な競技です。滑り終えた選手の息遣いを聞けばそ
の運動量のすごさも想像していただけることと思います。
私のやっているモーグルはもちろん競技でなくリクレーションモーグルですから、い
かにスピードを殺して無難にバンプを乗りこなすかという滑りです。それでもハード
な運動であり、難しく奥の深いスポーツです。それだけに巧く滑れた時の満足感も高
いのです。
男子のモーグル決勝は2月12日火曜日です。ご覧下さい。
流れ星 12/9/01
12月7日、10数年にわたり仕事上、私の部下として仕えてくれたカノコさんが亡くなった。乳がんによる3ヵ月半の病棟生活の末の最後であった。
知らせを受けた時、私はスキー行きの予定を抱えていた。一瞬、スキーに行っている時ではないかも、と思ったが、もしカノコさんが元気なら絶対に"いいですよ、行って来て下さい"と言われるのが分るだけに、そのまま行くことにした。
満天の星空の下、車を走らせていると目の前に大きな流れ星が現れた。
ビショップで佐野さんに運転を代わってもらい、車の窓を一杯に開け、一合壜の冷酒を手に星空に向かって叫ぶ、「カノコさん、安らかに!」
車のラジオからはクリソマス・ソングが流れている。
SILENT NIGHT,HOLY NIGHT…………..
また流れ星が流れた。
日曜日、朝から風もなく、深深と雪が降っている。
やがて、雲に覆われた薄暗い空に薄日が差し、一面が神秘的な光に包まれる。
5番リフト、林の中を新雪を舞い上がらせて縫うように滑る、カノコさんがくれたのか、最高のコンデションで気持ちよく滑れた一本。それは流れ星のように一瞬の事のように思えた。
10/6/01
ちょっと秋らしい気候が続いています。マンモスのオープニングまで丁度1ヶ月となりました。今日は、土曜日、先週末に買った
スキー靴にスキーのバインディングを調整してもらっていたのを今日ピックアップして来ました。スキーのチューン・アップも終わり
A準備は万端です。
このままだとアメリカは来週の11日ごろにアフガンへの報復空爆を始めるだろうと言われ、そうすると100%の確率で国内外で
アメリカに対するテロが行なわれると報道されています。どんな形でテロが起こるのか大きな関心事ですが、日常生活に影
響なく、スキーを楽しめたらと思っています。
今から27年ほど前、私はアフガンを旅行したことがありました。カブール、カンダハル、パキスタンとの国境のカイバル峠、
ペシャワール、イスラマバード等々今のニュースを賑わせる地域を主に乗合バスで移動したものでした。その当時アフガンは
王政が倒され軍事政権がしかれたばかりの時で、治安もわるく、メインの道路から外れると山賊が出ると、聞かされました。
実際私の1ヶ月後くらいにアフガン北部に行った学生が行方不明となり、両親が一生懸命さがしているのを帰国後知りました。
カブールそのものは市場には物があふれ、活気がありましたが、道端で蛮刀が売られ、近くには銃の密造で有名な村がある
とその頃から聞きました。
カブールの街中の道路はほとんど舗装されていない砂埃があがり、馬車が行き交い明治時代を思わせるような道路で、それでも平和な街でした。
人々は素朴で農家のおじさんといった感じの兵士が王宮の前で火縄銃かと思うような旧式の銃で警備にあたっており、そのあまり
の田舎くさい風情に我々は「その銃をこのカメラと替えてくれないか?」とジェスチャーでもちかけて、からかってみました。
「これは俺のものでないから、だめだ」とあせって銃を後ろに隠すのでした。しかし写真は撮らせてくれましたし、その後ソ連に侵攻され
やがてタリバンが台頭するまでのアフガンにはそれでも自由があったと思います。
そのころ悪の印象のあったソ連でもそうでしたが、街に出れは飲み物をご馳走してくれたり、何処の国でも、そこに住む一人一人は
皆、優しい人達でした。
宗教も政治的意味合いを深めると一種の洗脳かと思います。アフガンでの今日のイスラム原理主義のあり方の様に1歩間違えると
政治以上に市民を苦しめます、そしてその不幸に住民達は気がつかないほど洗脳され人権侵害の国となってしまいました。
一日も早く、アフガンに平和が訪れる事を祈ります。
9/11/01
ニューヨークは今大変なことになっています。今だ犠牲者の人数もわかりませんが、
最終的には1万人くらいになるのではと言われています。
まだ何処からも正式な犯行声明がでていませんが卑劣な不特定多数の一般人を狙った
テロで、人間のやることとは思えません。こちらのニュースで繰り返し「パールハーバー以来
の・・・ ・・」といっているのが、日本人の私には抵抗を感じさせられます。
ここロスでもダウンタウンのオフィス、政府関係、空港、港、野球場、観光地などが閉鎖に
なっています。明日にはかなり平常に戻ると思いますが、これからは何処に出かける
にもこのような危険性があることを肝に銘じて行動しなければいけない社会になるの
でしょうか。
それにしても、こちらの消防士、警察官のこのような状況下での冷静で勇気ある行動
には何時も感動させられます。爆発の際に、一般人の人に覆い被さるように守ってく
れたとか、避難する人々と入れ替わりに爆破されたビルに救助にむかった400人から
の消防士、警察官が戻っていないなどと聞くと心が痛みます。怪我をしながらなんとか
無事にもどった人達は「これが私の仕事ですから」とクールに応えるのでした。自分の
危険も顧みず、人の命を救うという使命を遂行するため訓練されたこの人達の行動は
美しく、尊い思いがします。一方、罪のない人を平気で殺すテロリスト、世の中にはさま
ざまな人間の顔をしたお面が出回っているとしか思えません。人間の本質は優しさで
あってほしい。
罪のない犠牲者と、その人達を救おうとして命を落とした勇敢な男達に、合掌。
7月7日、8日
スキー・シーズン以外でマンモスに行く事はほとんどない私が山歩きのためマンモスに行ってきた。
頼さん、佐野さんの案内でヨセミテ国立公園に隣接するサドルバック・レークの奥にある箱庭の様に美しい湖群のある一帯を8マイル、4時間少し歩き廻り、自然を満悦する。あまり急な登りのない、マンモスで最もお勧めの日帰りコースだというが適当に谷あり、丘ありで変化に富んだコースである。登山ではなく、ハイキングだと山男
たちは言うが、日ごろあまり歩く事のない生活を送っている私には、こんなコースでも時間が経つにつれ疲労が足に出てくる。
小雨の中、最初は廻りの風景を見ながら歩いていたが、後半は余裕のない足取りで足元を見ながら歩き続けた。時たま足を止め周りの風景を眺めれば、美しい自然の中にちっぽけな自分がいる。こんなに自然の中を歩いたのは久しぶりである。自然には人を癒す力があるって本当だと思った。雨に濡れた緑が美しい、後には心地良い疲れと自分を取り囲む大きなパノラマの残像が残った。
7/1/01
イチロー!!!
6月最後の30日、この間まで「今年はどんな年になるのか?」と期待を込めて言っていたように想いますが、早くも2001年も半分終わってしまいました。この日、地元のエンジェルス対マリナーズの野球の試合を見に行ってきました。夕方7時5分からの試合に合わせ、20分ほど前に着いた駐車場でお弁当で夕食。
球場内に入るとちょうど試合がはじまったところで席に付くかつかないかに一番打者であるお目当てのイチローローの絶妙のバンド等で6点をいれたマリナーズが終始 リードした展開で、9回裏には4点リードのセーブに関係ない場面であったに関わらず佐々木が当番して締めくくり、お目当ての選手はビール片手にすべて観ることができました。この場面で佐々木を出すのは久しぶりのロスアンゲルス地区のフアンへのサービスとも想えるもので、フアンを第一に考える大リーグならではの心遣いでもあったのでしょう。
野球の選手にかかわらず、スポーツ、芸術等の第一人者は押し並べて独特の共通の雰囲気を持っているものです。想ったとおり、はじめて実物をみるイチローもそうでした。只今、ア・リーグの首位打者、一流の風格と余裕を感じさせました。このように日本人がこちらでアメリカ人以上に活躍している姿を見るのは嬉しいものです。
今アメリカの大リーグで首位打者として、トップに立ているイチロー、実はアメリカで一流と認められ活躍した日本人は今までにも何人かいました。今や知る人も少なくなっていると想いますが、戦前から戦後にかけ、厳しい人種政策にも関わらず、ハリウッドでその頃、チャップリンと同額のギャラを得ていた俳優の早川雪舟、舞踊家で演出家の後に帰国し東京オリンッピクの演出を手がけ、完成を見ることなく逝った伊藤道朗(みちお)などがそうです。いずれも人種的偏見に満ちたその時代に実力だけで、アメリカ人に日本人を認めさせた人達でした。
そんな先人の事を想いながら日本人であることをちょっぴり誇りに思ったグッド・イーブニングでした。
3/12/01
克巳君の連載「僕の旅」が、とうとう最終回、ご苦労さまでした。楽しく読ませてもらいました。
3月3日
今日は久しぶりにローカルのスキー場マウンテン・ハイに半日のスキーに行って帰って来たところです。
先週はカナダから帰ってそうそう、コンプューターが壊れて修理に出していて、カナダのエッセイが書けず、困りました。カナダから帰った翌々日、アメリカに残っている友達の中で3番目に古い友達となってしまった栄一〔夏の風の後半に登場)のやっているDOMOレコードのミュジシャン
・喜多郎がニュー・エイジ・ミュジック部門でグラミー賞を取ったとの知らせ、おめでとう。
そして22日にはユニバーサル・アンフィシアターにジェフ・ベックのコンサートを見に行ってきました。ジェフ・ベックもすでに私と同じ位の年代かと思いますが今だにびんびんのロックをやっているのを見ると嬉しくなります。彼の音造りはなんか、かっこいいですね。皆さんも聞いて見てください。それに最近は音響設備が良くなったのか、音がシャープで切れが良く、昔のように大音響の中でも耳がジンジンすることがなくなりました。観客もほとんどおじさん、おばさんでしたが、満足して帰路に付くおじさんたちの後姿に、昔、伸ばしていたであろう長い髪の毛を見た気がしたのでした。
1/06/01
新世紀が明けて早くも1週間が過ぎようとしています。皆さん新年はいかがお過ごしでしたか?私はマンモスで滑り納め、滑り始めをして20世紀と21世紀を過ごして来ました。
スキーに関しては、今季はスタートは良かったのですが、ここ1ヶ月ほど、まともな雪は降っていません。アメリカ東部は例年にない寒波に襲われているそうで不謹慎ながら我々スキーヤーは「羨ましい!」、などとテレビの映像を見ると思ってしまうのです。
さて今日、日本では全国的に繰り上げの成人の日のがとり行なわれ、各地で催し物があったようですが、その中に、幾つか興味深いニュースが有りました。いずれも20歳の若者の常識、良識を問うもので、サダヤンの地元香川県では祝辞を読むはずの市長が会場で一升瓶を手に酒盛りを続ける若者に「成人に成る資格無し」として祝辞を読まずに帰ってしまったとか。時代はどんどん日本人としての一般常識を消し去っているように思います。おそらくその場にいた若者の中に、この場で一升瓶を廻し飲みするのは良くないと思える人が、少数人数でしかなかった、ということかなと思います。これは若者にその感覚を伝え切れない前の世代にそもそもの問題があったのかとも思います。日本の伝統芸能が口コミ、伝承で代々変わらず受け継がれて来たように、日本の心を正確に次ぎの世代に伝えたいものです。
日本人としての勤勉さ、努力、チームワークを21世紀も持ち続け、国際競争力の有る社会を維持出来る国民であって欲しいと思います。
新年早々、愚痴ってしまいましたが、今年もE-MAILを使って皆さんと共に時間を共有出来たらと思います。
改めて、新年おめでとうございます。
12/20/2000
私の25年近く知る古い友達の牧良夫くんから彼のプロデュースするギタリスト・ホセ田中とフルート奏者ペドロ・エウスターチェの出演するクリスマス・キャンドルライトコンサートがウェスト・ロスアンジェルスの教会で催されると知らせがあり出かけてきた。今までも何度かホセ田中のギターは聞きかせてもらう機会があったが、何時もその演奏には感心、感動させられるのであるが、今回はさらにペドロ・エウスターチェのフルートの演奏にフルートの概念を覆される思いであった。この二人が織り成す正に一流ミュジシャンの演奏はその場に居合わせた僅か100人足らずの聴衆にはもったいないと思える豪華なものであったが、彼らに言わせれば、10人の聴衆も万人の聴衆も神に捧げる演奏と言う意味で全力を尽くして演奏をする事に変わりはないのだそうである。そしてその言葉通りの素晴らしい演奏で、最後にロウソクの灯りの中、フルートの伴奏で「きよしこの夜」を皆で歌ったことは今年2000年のクリスマスの思い出として残る新鮮な心洗われる出来事であった。
MERRY CHRISTMAS !
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12/8/00
約2ヶ月半に渡り、このホームページで「夏の風」として連載して来た私の旅行エッセイが終了した。
8/14/2000
「ブナの林の風、光る」
丁度12時間ほど前に無事にロス空港に着陸してアメリカに戻りました。
久々の帰国の印象を一言で言えば気候も感情も暑かった。でも、故郷の人と自然は訪れたブナ林の木陰か
らもれる淡い緑の光のように涼しく、心地よく私を包んで迎えてくれました。
懐かしい人々にも会えました。雨の中、露天の温泉に浸かりました。美味い海の幸、山の幸、そして
もちろん新潟の酒も心行くまで味わいました。
昨年9月早期胃がんの手術をした父は、思った以上に健康を取り戻しており、母とともに
温泉に、山歩きに、晩酌にと付き合ってくれました。